【全文公開】アシックス V字回復を果たした戦略と実践

パリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会に出場するTEAM JAPAN公式ウェアを展開するなど、日本を代表するスポーツブランドであるアシックス。代表取締役会長CEOを務める廣田康人氏は2018年の入社後、数々の危機に直面しながらも果敢に挑むことで打破してきた。広報の業務経験も持つ廣田氏に、今後の事業展開と広報の要点について話を聞いた。 (本記事は2024年10月までの限定公開となります)

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◆大きな危機に直面も
直轄プロジェクトで脱却

―社長就任から間もなく、シェア争いがあったと伺いました。

 当社の売上比率の大半を占める主力商品はランニングシューズでしたが、2017年頃に業界に革命が起こりました。いわゆる「厚底革命」です。通常、選手に速く走ってもらうにはシューズそのものが軽くなければいけません。そして軽くするためには靴底を薄くするというのが当時の常識でした。そんな中でライバル企業が、靴底が厚くて軽いシューズを開発したわけです。これは物凄く大きなインパクトで、私たちはその流れに追いつくことができず、結局2021年の新年の大学駅伝大会で、シェアがゼロになってしまうという事態に陥ってしまいます。このような事態になるであろうことは、実は前もって読めていました。厚底革命の際に、いずれシェアが奪われる事態を見越して2019年に立ち上げたのが「Cプロジェクト」です。

 Cというのはよく「ChallengeのCですか?」と聞かれますが、「頂上」のCです。創業者の鬼塚喜八郎氏が生前によく仰っていた「まずは頂上から攻めよ」という言葉に由来します。頂上を目指すことによって得られる技術やノウハウが活きていく、だからまず頂上を攻めよ、ということです。

廣田康人氏

―プロジェクトの立ち上げにはどのような思いがあったのですか?

 私たちの製品はこれまでトップアスリートたちの足を支えてきました。しかし「そうではなくなる」という状況は、会社にとって大きな危機だと感じたのです。一方で、実際にプロジェクトをスタートするまでにはしばらく期間がありました。その間に社内の状況を整理していたのですが、厚底シューズに対しては「ケガをしやすく危険だ」などのネガティブな意見が多いことがわかりました。これまでの成功体験があるばかりに現状を維持しようという考えが強くなっていたのだと思います。それを打破するためにはトップがリーダーシップを持って変えていくしかありません。そこで若手の社員を集め、研究開発からテスト、マーケティングまで一気通貫で進められるチームを作りました。

 開発スピードもクオリティも驚くべきものでしたが、初めから勝算があったわけではありません。「何とかしなければ」という危機感が起点です。ただ若手のメンバーたちは元から厚底シューズに対して強い気持ちを持っていて、それが如実に結果として現れたと思います。まだまだ改善の余地はありますが、「トップの直轄でこんなプロジェクトを始めた」という社内外に対するメッセージにもなったと思います。プロジェクト名を分かりやすくした甲斐もあり、海外でも「頂上(CHOJO)」という言葉は浸透しています。

―現在はどのような手ごたえでしょうか。

アシックスでは元旦に広告でメッセージを出しており、2022年は「負けっぱなしで終われるか。」、2023年は「こんなもんじゃない。」、2024年は「脚をとめるな。」です。これは何かというと、少しずつシェアを拡げていく過程を表した言葉なのです。2021年にゼロになって2022年、少しシェアを拡げた2023年、だんだんと戻ってきた2024年となっています。これに関しては、社員へと「成果が出ている」と伝えることを意識しました。アスリートがそうですが、勝つことによって強くなる、いわば“勝ちグセ”がつくことで成果が出るようになるのはビジネスも同じです。成果をみんなでシェアして、次のステップに進む。そのためにはトップが出すメッセージは大いに重要です。

2024年 日経新聞に掲載された元旦メッセージ

 

◆経営者は広報そのもの
 「相手が知りたいこと」を発信せよ

―経営者のお立場として、意識していることについてお聞かせください。

アシックスは社名そのものが私たちの創業哲学を表しています。ラテン語で「健全な身体に健全な精神があれかし」を意味する"Anima Sana In Corpore Sano"の頭文字を取っています。英語では"Sound Mind, Sound Body"となり、そのまま当社のブランドスローガンになっています。

会社が向かうべき方向性をはっきりと示してくれる言葉ですし、社内における浸透度もとても高い。2021年以降このブランドスローガン自体を変えることはなく、創業哲学の実現に向けて時代に合ったやり方を目指すことに力を入れています。特にこれからはデジタルとサステナビリティの観点は事業に直接影響をするため、外すことはできません。社会やビジネスを取り巻く環境の変化に合ったやり方で創業哲学を体現していく、ありたい姿を描くのが私の役割であると考えています。

「ASICS VISION 2030」より引用

 

―廣田会長は前職では広報の実務を担ってこられましたが、その経験が活きる場面はありますか?

 大きくは、情報を受け取る側の視点に立てるようになったことです。前述した元旦メッセージもそうですが、シンプルな言葉を使うことを意識しています。いくら発信側が思いを込めても、伝わらなければ意味がありません。当たり前に聞こえるかもしれませんが、意外とできていない会社も多いのではないでしょうか。お客様やステークホルダーとのコミュニケーションにおいても、どう受け止められるのかは常に意識しています。「わかってもらえない」と悩む経営者の方に言いたいのは「わかるように伝えていますか?」ということです。

昨今は企業の情報開示も一般的になり、わかりやすく伝えることの重要性はますます高まっています。当社では統合報告書などの対外レポートを作る際は内容・分量ともに自己満足に陥らないよう、「読んでもらいたいメッセージを端的に発信すること」に注意を払っています。

―社内におけるコミュニケーションで意識したことは何かありますか?

 社長就任当初、社員もお客様も取引先も、誰も私のことを知りませんでした。いろんな方に知ってもらいたいし私も知りたいということで意識したのが「接地面積を広くする」ことでした。それで始めたことのひとつが社内ブログです。2週間に1回のペースで、その時その時に思ったこと・考えたことを書き連ねました。社員は匿名でコメントできるようになっており、そのコメントに私が返信し、そのやりとりも公開していました。当初考えていたよりも真剣かつ活発な意見がたくさん出て、単なる社内コミュニケーション以上の役割があったと思っています。

 こうした経験を通じて、経営者とは広報そのものだと感じるようになりました。繰り返しですが、経営者は考えや意図がまわりに伝わらなければいけません。広報は経営者の考えを伝えるための器なので、経営者自身がまわりに伝えていかなければ始まらないのです。

最近はパリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会の話題もあって、世間の皆さまのスポーツに対する関心の高まりを感じます。また経済紙では、おかげさまで業績が好調という報道もありました。しかし海外の大手企業と比較するとまだまだで、これからもシェア争いにはシビアに取り組まなければなりません。極端な話、シェアを拡大するために一番簡単な方法は値下げをすることです。しかし当たり前ですが、値下げをすると利益は出ません。社員の給料や株主への配当、未来への設備投資など、全ては利益で賄われます。私が入社した当初、社内は売上を重視する向きがありましたが、経営に入ってからは利益を出すことを徹底しました。社内外にその意図を丁寧に発信して説明することで、理解してもらえるように努めました。

―ありがとうございます。広報部門の方が心得ておくべきことはありますでしょうか。

 やはり経営トップの身近にいることです。懐に入ると言い換えてもいいでしょう。トップの代弁者として、何を考えているのかを理解しておかなければなりません。また、世間や消費者が会社のことをどう思っているのか、声を集めてトップに伝えるという重要な役割もあります。中には言いにくいこともあり非常に勇気がいると思いますが、経営には必要な業務です。そのためにトップと広報担当者は信頼関係を築いていくことが重要といえます。

 

◆神戸発、ジャパンメイドの
グローバルブランドを目指す

―2020年に、2030年を見据えた長期ビジョン「VISION2030」を策定されました。これにはどのような背景があったのでしょうか。

 ここでは「Lifetime Athletes in All of Us」と掲げています。若手や中堅の社員が中心となって策定されたものです。いわゆるボトムアップ、というより「ボトムファイナル」と表現するのが適切かもしれません。経営陣や部長クラスの人たちには一切口出しさせずに完成させました。2030年に活躍する人たちに夢を描いてもらい、形にしてもらう。そうでなければ意味はないと思ったのです。彼ら彼女らが大きな夢を語る姿は、横から見ていて頼もしく感じました。それと同時に行ったのが中期経営計画の策定です。社員が描いた夢を支えるかたちで、数字目標や施策の策定は経営陣で先導して進め、各部門で議論を重ねて作り上げました。

 掲げた言葉は「誰もが一生涯、運動・スポーツを通じて心も体も満たされるライフスタイルを創造する 」という、私たちのモットーそのものです。社名に込められた想いや創業哲学の2030年版の解釈と言えるでしょう。

―今後の事業展望についてお聞かせください。

 「OneASICS」というメンバーシッププログラムを運営しており、現在は会員が全世界で1,500万人を超えています。サービスコンテンツを更に改良・拡充して、2026年には3,000万人を目指しています。

 これは単にEコマースのためだけではなく、会員になっていただいた方との接点を増やし、例えばマラソンやレースに出るときのトレーニングや移動手段、宿泊、食事など、、その人の健康をあらゆる面でサポートできるサービスを考えています。それもビジョン実現のひとつです。

私たちの商品やサービスに価値を感じてもらうためには、お客様の1人ひとりと関係性を結んでいく必要があります。ブランドとはそのようにして作り上げられていくものです。そしてアシックスブランドを支えるものは信頼。「安心・安全・快適にスポーツができる。そしていい結果が出る。」私たちはこのことを約束し、期待に応えていく。決して一朝一夕でできることではありませんが、着実に取り組むべきことです。

―デジタル上のコミュニケーションと広報、マーケティングは切り離せない関係にあると思われます。

 広報とマーケティングは混同されがちですが、一線を引いて捉えるべきだと考えます。マーケティングはいわば科学。ある程度計算して、お客様の反応を見ながら能動的に進めることができます。一方で広報はコントロールできる部分は多くありません。プレスリリースなどは自分たちで出しますが、第三者のメディアを通じて発信されるもので、そこは計算してできることではありません。また大きく異なる点でいえば、発信する内容です。新商品が発売したらマーケティングでは「いかに良い商品か」を発信していきますが、例えば統合報告書などの広報活動では「自分たちの課題」を書くようにしています。あくまで私たち目線ではありますが、良いことだけを発信するわけではありません。

―今後は世界市場を見据えて、どのような広報の展開を考えていますか?

本社所在地が神戸なので、どうしても日本中心の思考になってしまいがちです。しかし、安倍元首相が「地球儀を俯瞰する外交」と仰っていましたが、まさにそのようなビジネスを行っていきたいと考えています。基本的には打ち出すメッセージは全世界で共通のものです。もちろん国や地域によって受け止められ方も変わるので、発信の仕方は極めて注意深く検討しなければなりません。試行錯誤しながらですが各国の広報体制を強化していくことで海外の比率を高めていき、日本発のグローバルブランドにしていきたいと考えています。世界中どこの都市に行ってもアシックスを履いている人がいる。日本ならではの技術力があれば、この夢も決して不可能ではありません。



廣田康人(ひろた・やすひと)
アシックス 代表取締役会長CEO