「AI時代、問いを立てる力が必要だ」への違和感

探究の現場で「問いが深まらない」という課題が、全国各地の学校で生まれる理由はどこにあるのか。連載第一回目は、そもそも「問いを立てる」とはどういうことなのかを考えてみたい。

「生徒の問いが深まらない」
「よい問い立てができない」

杉浦 太一

杉浦 太一

株式会社Inspire High代表取締役
1982年生まれ、東京都出身。学生時代にCINRAを創業し、2006年株式会社化、代表取締役に就任(2024年に取締役会長に就任)。芸術文化を扱うメディア運営や、官公庁や大手企業のマーケティングやブランディングに従事。2019年に「世界中の10代をインスパイアする」をミッションに掲げるEdTechスタートアップ『Inspire High』を立ち上げ代表取締役に就任。Business Insider主催の『BEYOND MILLENNIALS 2021』のCulture x Business部門でグランプリ受賞。第18回日本e-learning大賞にて経済産業大臣賞受賞。東京都文化政策部会専門委員も務める。

全国の中学高校の探究学習の伴走をしていると、頻繁にこうした声を耳にする。学校にはそれぞれの特色があり、生徒も一人ひとり多様だ。にもかかわらず、どうしてこうも共通した課題がそこかしこで生まれてくるのか。探究学習における「問い」を考えていく連載の第一回目となる今回、そもそも「問いを立てる」とはどういうことなのかを考えてみたい。

「AI時代、問いを立てる力が必要だ」

これもまたよく見聞きするフレーズだ。その通りだと思う。生成AIに聞けば多くのことを瞬時に知ることができるようになった今、これまで教育現場でも実社会においてもひたすら求められてきた「答えを出す力」の価値が相対的に下がってきているのは自明だ。しかし、どこかこのフレーズに違和感を覚えてしまう。何か筋が通っていないような、根本的に私たちが犯してきた誤謬にまた囚われてしまっているような気がしてならない。

(※全文:2648文字 画像:あり)

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