文明開化期の数寄者たち(2) 日本のリーダーたちは茶室で何を学んだか

立身出世の中で描いた夢
茶の湯から汲みあげたエネルギー

近代日本のリーダーたちのなかに、茶の湯に夢中だった人びとがいた。それを近代数寄者と呼ぶ。彼らは何よりも茶の湯が好きで道具の蒐集に血道をあげた。数寄という言葉は450年前の千利休の時代には茶の湯そのものを指した。織田信長も豊臣秀吉も、みなお茶が大好きで、茶道具に執心した。明治から大正という時代は、ちょうど信長・秀吉時代の再来で、権力や財力を持つ人びとの最高の楽しみが茶の湯だった。

戦国時代には立身出世の物語がつきもののように、近代数寄者といわれる人びとも同様で、その多くは貧困層出身者だった。ビール王とも呼ばれた大日本麦酒社長の馬越恭平まこしきょうへい(1844―1933)も極貧の少年時代を送った。商家の丁稚でっちをしていた時、座敷の掃除で棚から青磁の香合こうごう(茶道具の一つ)を落としてしまった。割れたわけではないが、それでも番頭にひどく殴られた恭平少年は、いつの日にかこの青磁の香合を買い取ってやろうと心に決めたという。実際、のちに馬越恭平はそれを自分のものとし、茶会で使っている。彼らは戦国武将と同じく道具一つにも命がけであった。

(※全文:2738文字 画像:あり)

全文を読むには有料プランへのご登録が必要です。