藩校開設は遅れたものの、多くの明治の偉人や著名な蘭学者を輩出

江戸時代の岩手県は盛岡藩・八戸藩・仙台藩・一関藩の4藩で構成され、盛岡藩の藩校は幕末になってから開設された。また、仙台藩・一関藩が治めていた南部からは、明治以降の日本に多大な影響を与えた多くの蘭学者・医者が出ている。中世から近世にかけての岩手県の教育の特徴を見ていく。

中世の平泉文化と寺院教育

岩手県の中世期における教育の詳細は不明な部分が多いが、奥州藤原氏による三代の統治とその平泉文化が同地に多大な影響を及ぼしたことは疑いがない。東北地方を統一した藤原氏は、京都の王朝文化を平泉に移し、仏教思想によって奥州の平和を実現しようとしていた。

そのため、京都から多くの職人たちが平泉に招かれ…

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