故郷に貢献するため三陸鉄道へ 復興の希望となり、震災を語り継ぐ

東日本大震災や、昨年の台風19号と度重なる大きな被害を受けながらも、今年3月に全線復旧を果たした三陸鉄道。震災当時は県職員として復興に尽力し、現在は三陸鉄道の社長を務める中村一郎氏に、生まれ育った故郷への思いや三陸鉄道における防災教育の取り組みについて聞いた。

東京へ出ても常に心にあった、故郷・岩手への想い

──盛岡市出身の中村さんは、近代日本を代表する歌人・石川啄木と同郷ですね。

中村 一郎

中村 一郎

三陸鉄道株式会社 代表取締役社長
岩手県盛岡市出身。1974年、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1979年に東京大学法学部を卒業し、同年岩手県入庁。2010年に沿岸広域振興局長、2012年に政策地域部長を経て、2014年に復興局長に就任。2016年に岩手県を退職し、同年より現職。

私の故郷の盛岡市渋民(旧渋民村)は、県都の一翼を担う地域ながら、東西に姫神山と岩手山、間を北上川が流れる農村地帯です。啄木はこの地で幼少年時代を過ごしたのち、各地を転々としましたが、「かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川」という歌を詠んでおり、いつも心の中に郷里への想いがあったようです。

また、私が卒業した渋民小学校(旧渋民尋常小学校)は、啄木の母校でもあります。啄木が代用教員時代に教鞭を執っていた縁から、今なお啄木の作詞による…

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