時間と場所の余白が創造性を育む そこにオフィスの未来がある
コロナ禍を経てオフィスをめぐる考え方は大きく変わり、働き方も多様化した。一方で、昨今はオフィス回帰の動きも加速、よりクリエイティビティを育みうるオフィスの姿も模索されている。創造的で生産性の高いオフィス環境について東京大学大学院の稲水伸行准教授に話を聞いた。
職場組織の総合科学
としての「オフィス学」
稲水 伸行
東京大学 大学院経済学研究科 准教授
博士(経済学)。2008年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員(DC1)、東京大学ものづくり経営研究センター特任研究員、同特任助教、筑波大学ビジネスサイエンス系准教授を経て、2016年より現職。経営科学、組織行動論を専門とし、生産性の高い職場環境の構築を企業と研究するオフィス学プロジェクトも主催。主な著作に『流動化する組織の意思決定』(東京大学出版会 組織学会高宮賞 著作部門受賞)など。
── 先生はオフィス研究をされています。あらためて「オフィス学」とは何でしょうか。
もともと「オフィス学会」があり、建築や環境心理学などの専門家の他、オフィス家具メーカーや不動産、建設関連企業などが参画して長く活動しています。それとは別に、私は経営科学や経営組織論、組織行動論を研究する独自の立場からホワイトカラーの職場を考えるという意味で「オフィス学」という言葉を使っています。
職場のデザインでは、物理的なオフィス設計だけでなく人的資源管理の制度設計やコミュニケーションの設計、ICTの導入の仕方も大切な要素になります。例えばオフィスを移転する場合、総務や人事、ITの3部門が三位一体にならないとうまく行きません。職場組織のあり方を、物理的デザインだけでなくHRMデザインとITデザインの面からも考える、いわば「職場組織の総合科学」。それが私の考えるオフィス学です。
「ABWの次」にあるものは
コミュニケーションの仕組み
── コロナ禍でオフィスの考え方が変わりテレワークも定着しました。一方で、今はオフィス回帰の動きも活発です。この間の変化をどう見ていますか。
コロナ禍のなか、もうオフィスなど要らないと語る企業もありましたが、このところは、確かにオフィス回帰の揺り戻しが来ています。
一方で、コロナ禍前の2014年頃から提唱されていた「ABW(Activity Based Working)」という考え方が、コロナ禍を経て、日本の企業に広く浸透してきた流れもあり、さらには、ABWにおいてチームワークをどう高めるかを模索する動きも大きくなってきたように思います。
── ABWは、社外や自宅など、仕事する場所や時間を業務内容に合わせて選べる働き方ですね。ABWが定着した一方で新たな課題が出てきたのでしょうか。
2010年代、ABWはまだオフィスのなかに閉じた概念で、オフィスの形態を表わす言葉でしたが、今ではテレワークも含めて適切な場所を選択しながら仕事ができるハイブリッドワークを意味するようになってきています。2010年代以降、企業における事業活動が部署を横断したプロジェクトベースになると、島型オフィスよりもプロジェクトごとに集まりやすいことでABW導入が進んだ経緯があります。
ただ、個人レベルでは問題なくても、チームづくりや若手へのフォローという観点からすると、本当にABWが適切なのか、チームとしてのまとまりが弱くなるのではないかといった声も聞くようになりました。
既に「ABWの次」を追うことが必要になっていて、それが現在の私の大きな研究テーマの一つになっています。
── ABWの次というと、具体的にはどのような方法がありますか。
ABWは、柔軟にプロジェクトを組むことはできても、チーム立ち上げ時をはじめ節目節目で、やはり対面で顔を合わせてのコミュニケーションを強化する必要があります。
チームの立ち上げやチームの強化にはABWだけでは弱いのです。どうすればよいかは、なかなか難しいのですが、現在、ある企業とともに効果測定しながら研究しているのは、ABWを導入しながら敢えてプロジェクトブースを作るという方法です。1か月なり3か月なり一定の期間、メンバーが何となく足を向けられる場所を作ることが、チーミングやチーム強化に有効なのではないかと考えています。
これからの働き方にとって
重要なのは“3つのid”
── 新しい働き方と組織のあり方を創造する場として「はたらくコンソーシアム」を立ち上げられました。具体的な活動を教えてください。
ライフワークスタイルラボという企業を事務局に、主に中小企業の役員や人事担当の方々と最近の働き方について意見交換したり、各種調査、コンサルティングなどを行っています。設立2年目で、まだ助走段階ですが、働き方診断に基づいて対策を考え、数年スパンで変化を見るといった取り組みを進めています。
また、今後の働き方のキーワードとして「i-deals」「ideation」「identity/ identification」という「3つのID」を掲げています。「i-deals」は、各自の理想の働き方を会社や上司との交渉で決めていく手法で、今後日本企業でも広がる可能性があります。「ideation」は組織が新しいものを生み出していく創造性を指し、「identity/ identifica tion」は、柔軟な働き方を許容する一方で組織としての一体感も維持することを指します。ABWによって緩く弱いつながりが数多く生まれると、やはり強い結節点としての組織の重要性が高まるということです。今年度は、3つのidのうち「ideation」を軸に議論を深めているところです。
仕事とプライベートの合間が
クリエイティビティを生み出す
── クリエイティビティを生む、生産性の高い組織環境の実現に向けては、新しい働き方や人事施策など様々な要素が必要かと思いますが、何が重要になるとお考えですか。
例えば、日本を代表するクリエイティビティ豊かな企業にソニーがあります。長く低迷していましたが、基本的には、外から見えないアンダーグラウンドの部分、いわば“机の下”では、正規の製品とは違う何か新しいものを生み出してやろうという活動が続いていて、それが創業以来のソニーの伝統でもありました。
現在、東京の品川区大崎には同社のコワーキングスペース「BRIDGE TERMINAL」がありますが、ここは役員などが運営に関与せず、エンジニアたちが自分のやりたいことを自分の権限でやれる、自由度の高い場所、いわばエンジニアの聖地のような空間になっています。そこで何か事業提案のようなイベントがあれば、事業部長も社長も集まり、闊達なディスカッションが繰り広げられ、即事業化につながるケースもあります。
上層部が干渉しない“机の下活動”の伝統の火を絶やさずに来た企業カルチャーから、数々のイノベーションが生み出されるわけです。グーグルにも、本業の時間の20%を自分の好きなプロジェクトやアイデア創造に充ててよいという「20%ルール」がありますが、クリエイティビティというのは、そうした、仕事とプライベートの合間、余白の時間と余白の場所から生まれるものなのです。
この10年程で、マネジメント側も、オフィスはコストでしかないという意識から、社員のウェルビーイングやエンゲージメントを向上するための投資、人的資本への投資であるという意識に変わってきました。時間と空間の余白づくりを重視した環境の創造が、今後ますます重要になっていくと思っています。