戦後の大転換から大学紛争の中で模索された先端教育

昭和22(1947)年に教育基本法が制定され、現在まで続く6・3・3・4制の新学校体系での教育が始まった。戦後の混乱の中で、教育内容はどのように変化していったのか。

清成 忠男(きよなり・ただお)

清成 忠男(きよなり・ただお)

東京大学経済学部卒業。1996年から9年間、法政大学総長・理事長を務め、大学経営を活性化させる。財団法人大学基準協会会長などを歴任。2010年瑞宝大綬章受章。

教育の歴史的大転換は、第二次世界大戦後。アメリカ進駐軍が入ってきて、それまでの軍国主義あるいは儒教的教育とは全く変わった。教育は一つの社会制度になっており、変化があれば学校だけではなく社会全体の変化につながる。つまり、卒業生の就職先から教育内容、理念まで全てが大きく変わることになった。

「先端教育」と言ったとき、先端の意味は転換のあり方で全く変わってくる。戦後の大転換の中では、先端と言っても先が見えないような感じがあった。

戦時中も旧文部省によって…

(※全文:1082文字 画像:あり)

全文を読むには有料プランへのご登録が必要です。