経済発展を平和と繁栄につなげるには:ケインズのグランドデザイン

2024年、社会構想大学院大学に設置された社会構想研究科。社会のグランドデザインを描き、実装できる人材の養成に取り組んでいる。しかしそもそも、社会構想、グランドデザインとは何なのか?それなしには今日の世界があり得なかった12人の社会構想家の実践から、同研究科の教員がリレー形式で解説。

社会構想家としてのケインズ

吉國 浩二

吉國 浩二

社会構想大学院大学学長
専門分野:マスメディア、経済学
1975年、東京大学経済学部卒業、日本放送協会入局。横浜放送局長、経営委員会事務局長、理事、専務理事を歴任。役員としてコンプライアンス、人事、総務、関連事業、コンテンツの二次展開・海外展開、広報等を担当し、2016年退任。2019年より現職。

連載第1回はイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946年)をとりあげる。

ケインズはマクロ経済の理論を確立した経済学の大家であるが、その活動はアカデミアの範囲にとどまらず、イギリス大蔵省に勤務して政策の立案、実行にあたったほか、国際関係や政治の分野にも積極的に関与。自らの理論をもとにグランドデザインを描き、実践に移した人でもあった。こうしたケインズの実践の軌跡から、「社会を構想する」ことの意味を考えてみたい。

国際協調システムの構想と実装

ケインズを一躍有名にしたのは、第一次世界大戦の終戦処理をめぐるパリ講話会議における彼の行動であった。1919年に開かれたこの会議に、ケインズはイギリスの代表団の一員として参加。しかし、敗戦国ドイツからの賠償の分捕りに終始する議論に失望して辞任。同年、『平和の経済的帰結』という書物を出版し、会議での合意内容への辛辣な批判を展開した。

この本の中でケインズは、戦争が勃発する前の欧州の状況について、19世紀後半からグローバル化がすすみ、各国間の依存関係が深まる中で、人口の増大と産業の発展により最大の商工業国となったドイツが、域内全体の生産、消費、物流の要になっていた、という認識を示した。それにもかかわらず、会議はこうした変化を考慮せず、かつての各国が自足に近い状態だった頃のような感覚で自国の利益を追求。ドイツに対して支払い不能な多額の賠償を課す、極めて過酷な結果となってしまった。

これによってドイツの経済が崩壊すれば、欧州全体に深刻な打撃を与えるとケインズは警告。さらに、「もし我々が故意に中央ヨーロッパの窮乏化をめざすとすれば私はあえて予言すれば、容赦なく復讐がやってくるだろう」と指摘した。賠償による過度な負担が国民の疲弊を招き、ナチスの台頭とそれによる第2次世界大戦の開戦にいたったその後の過程を予言したとも思える見方を示している。

さらにケインズは同書の中で、戦争で大きな損害を受けた地域への保障についても言及している。敗戦国の賠償のみとするのではなく、戦勝国の中でも余裕がある国が、債務の棒引きなどで支援する仕組みを作ることを提唱。ケインズはすでにこの時、平和を保つための国際協調を図るシステムの確立が必要だという考えを示していたのである。

結果的には第一次大戦後の復興は思惑通りには進まず、戦争の再来は防げなかったが、その反省のもと第二次世界大戦後の終戦処理においては、敗戦国に過度な賠償を求めず、世界経済の混乱と戦争の再発を防ぐためのブレトンウッズ体制が成立。ケインズはその中核となった国際通貨基金(IMF)の設立に尽くした。

戦争の終結に大きな力をもったアメリカの意向が強く働いたため、出来上がった姿はケインズの描いた通りにはならなかったが、今でもIMF関係者の間で、ケインズは「IMFの父」として尊敬を集めている。ケインズの平和を求めるあくなき想いが、戦後の自由主義経済の発展を支えた国際協調システムの構想を実現したことは間違いないであろう。

100年後の社会のビジョン

ケインズの業績の中でもうひとつ、社会構想という観点から注目したいのは、1930年に発表された「わが孫たちの経済的可能性」というエッセーである。

ここでは100年後の社会が構想されている。発表当時、世界は大恐慌時代に入り、人々の間には「資本主義の終焉」といった悲観論がはびこっていた。しかし、ケインズはこの状況を一時的な調整によるものとし、経済の発展の基礎となる技術の進化と資本蓄積はこれからもさらに加速度的に進展し、2030年には先進国の生活水準は今の4倍から8倍になる、という試算を示している。

そして、仮に8倍豊かになれば、経済問題や生存のための闘争は解決するだろうと述べている。人類は生計をたてるために働くという目的を失い、最初はとまどうだろうが、次第にやるべき仕事をできるだけ広く分かち合うようになり、いずれ1日3時間や週15時間の労働で満足することになるだろう、と。

現在、ケインズが定めた2030年のゴールは5年後に迫っている。労働時間は全体として短縮傾向にあるものの、1日3時間に到達するとはとても思えない。このためこの予言は、一言でいえば「大外れ」ということになる。

しかしながら、先進国に限れば8倍という水準はおおむね達成されている。そもそもこの予言、悲観論が蔓延する中、人々を勇気づけることが目的だったと思われる。従って主題は生活水準の飛躍的向上にあり、この部分はケインズの経済領域における知見にもとづき確信をもって語られており、それゆえ的中したといえる。

一方、1日3時間というのは、生きるために働く必要がなくなった人々が仕事以外の余暇に生きがいを求めて行動変容を起こす、という期待のもと示されているものであるが、これは100年前の時点で、しかも経済学やその周辺の学問によって公式的に見通せるものではなく、外れたのは仕方のないことであった。

技術革新、経済発展を
万人の幸福に結び付けるには

ケインズは同エッセーの中で、富の蓄積というものが経済を成長させる過程では必要な「神」だが、ひとたび成長が達成されれば、その社会的な重要性は薄れていき、いずれは捨て去られるだろうとも述べている。

つまりケインズは、人々があまねく豊かになるためには経済をもっと発展させねばならず、そのために金儲けをすることが必要になるが、ひとたび望まれる成長が達成されれば、人々は金銭やそれを得るための労働という束縛から解放され、真に自由で豊かな生活ができるようになる、ということを示したかったのだと思われる。そして、それを実現するための社会構想を後世の人たちに託したのではないだろうか。

翻って我々の生きる現代、技術進歩はさらに加速している。その一方で、急激な経済成長の副産物として課題も山積し、これらの解決のために新たな価値観が求められているのも事実である。ケインズの予測した技術進歩については、今後AIの発展によってその利益が一部に独占され、大量の失業につながるのではないかといった疑問が提出されている。

こうした疑問に対する確かな解はまだ存在しない。技術進歩、経済発展の成果を万人の幸福に結び付けられるのか、社会構想に対する期待は大きい。そしてそのためには、政治や経済だけでなく、社会やその中にいる人間の行動様式についての広い考察力が必要になるだろう。

そこで本学では、社会学や哲学を含む幅広い学問の知見をもとに現実を観察し、従来の概念にとらわれない想像力でグランドデザインを描くことのできる人材の養成に取り組んでいる。そうした人材を数多く生み出すことで、平和で豊かな社会への途筋を開きたい。それが我々の願いである。