心の動きを可視化、予測し、言葉に アスリートの逆境力と「不動心」

トップアスリートは、どのように逆境力を身につけているのか。日本唯一の、車いすバスケットボールのプロ選手で、日本代表副キャプテンでもある香西宏昭氏は、2016年パラリンピックでの不振をバネにメンタルトレーニングに取り組んできた。

「なんて最低な人間なんだろう。自分がなりたくない選手になりかけてる……」

車いすバスケットボールで日本唯一のプロ選手であり、32歳にして既に3度のパラリンピックに出場している日本代表のエース、香西宏昭氏は、自分に幻滅した時期がある。2016年に開催されたリオデジャネイロ・パラリンピックを終えて、しばらくした頃だ。

リオで感じた危機感

香西 宏昭

香西 宏昭

車いすバスケットボールプロ選手
1988年千葉県生まれ。先天性両下肢欠損(膝上)。 2000年、車いすバスケットボールに出会い、名門「千葉ホークス」で本格的に始める。2004年、高校1年生で U-23日本代表に選出。高校卒業後単身アメリカに渡り、2010年にイリノイ大学に編入。憧れの指導者の下、車いすバスケの戦略や技術を学ぶ。同年の全米大学選手権優勝。2012年、13年に全米大学リーグのシーズン MVP を受賞。2013年9月、ドイツ・ブンデスリーガの BG Baskets Hamburg とプロ契約。2017年ドイツ1部リーグ RSV Lahn-Dill に移籍。

先天性両下肢欠損(膝上)で生まれつき足がなく、12歳から車いすバスケを始めた香西氏に、「これまでのキャリアのなかで、最も大きな壁はなんでしたか?」と尋ねた答えが、「リオパラリンピック」だった。この大会で、日本代表は過去最高位となる6位以上を目標に掲げていたが、結果は12カ国中9位。当時、ドイツのチームに所属し、日本代表の副キャプテンとして大会に臨んだ香西氏にとって、チーム成績以上に納得がいかないのが、自分のプレーだった。

「僕と(当時日本代表キャプテンの)藤本怜央選手がチームの中心ということで、僕らを起点にした戦術で大会に臨んだのですが、蓋を開けてみたらまったく思うようなプレーができませんでした。状況判断がうまくできなくて、ミスを連発しました。宿舎に戻ると、そのミスのシーンが頭のなかで何回も何回も繰り返されるんです…

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