明治時代のダイバーシティを推進 津田塾大学創立者・津田梅子

津田梅子は、女子教育の先駆者として活躍が評価され、2024年から五千円札の肖像になる。今回は、そんな梅子の生涯と教育について紹介していこう。

6歳で渡米 自立した女性の育成を決意

河合 敦

河合 敦

1965年東京都出身。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。現在、多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)、第6回 NTT トーク大賞優秀賞、2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。『早わかり日本史』(日本実業出版社)など著書多数。世界一受けたい授業などテレビ出演も多数。

明治4年(1871)に派遣された岩倉使節団の女子留学生5人のうち、最年少はわずか満6歳の幼児だった。それが梅子である。当初は女性を送る予定はなかったが、欧米を視察した開拓使次官の黒田清隆が「優れた人材を育てるためには、教育のある母が必要だ」と政府に訴え、急遽、公募が決まったという。開拓使の嘱託で元佐倉藩士の津田仙は、幕末に渡米した経験があり、計画を知って娘の梅子に応募させたのだ。

アメリカに渡った梅子は、チャールズ・ランマンのもとに預けられた。ランマン夫妻には子がなかったので、梅子を実子のように可愛がり、どんな支援も惜しまなかった。こうした愛情を受け梅子は聡明で誠実な女性に成長した。

11年後、アーチャー・インスティチュート(私立の女学校)を優秀な成績で卒業した梅子は…

(※全文:1927文字 画像:あり)

全文を読むには有料プランへのご登録が必要です。