初代文部卿・大木喬任 明治の「学制」制定に尽力

明治維新後に創設された、現在の文部科学省の前身である文部省。その初代のトップ大木喬任は、学制の制定など近代日本の教育を立ち上げた。自ら教科書も執筆した、大木の教育に対する思いに迫る。

明治政府の中枢で力を振るった、佐賀藩出身の稀有な存在

河合 敦

河合 敦

1965年東京都出身。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。現在、多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)、第6回 NTT トーク大賞優秀賞、2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。『早わかり日本史』(日本実業出版社)など著書多数。世界一受けたい授業などテレビ出演も多数。

明治4(1871)年、文教政策を一手にになう国の行政機関として文部省が誕生した。そのトップである初代文部卿に就いたのが大木喬任(たかとう)である。初代文部大臣である森有礼は有名だが、大木について知る人は少ないだろう。元佐賀藩士で、政府に召し出されて東京府知事、民部卿をつとめたあと文部卿となった。その後は参議(現在の大臣クラス)に転じ、長年にわたり司法卿をつとめ、さらに元老院議長、枢密院顧問官、文部大臣など政府の要職を歴任した有能な政治家だ。

若い頃は読書好きの寡黙な青年だったことで、藩校でからかいの対象となってしまう。あるとき、腕力の強い男が手に付けたツバを大木の口になびりつけ…

(※全文:2265文字 画像:あり)

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