「独立自尊」を自ら実践して教育 慶應義塾大学創立者・福沢諭吉

上場企業の社長の出身大学ランキングで毎年トップの慶應義塾大学。多くの偉人を輩出した、福沢諭吉の教育にかける精神を紐解いてみる。

維新の変乱の中でも講義を続け、文明国を目指した

河合 敦

河合 敦

1965年東京都出身。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。現在、多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。第17回郷土史研究賞優秀賞 (新人物往来社)、第6回 NTT トーク大賞優秀賞、2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。 『早わかり日本史』(日本実業出版社)など著書多数。世界一受けたい授業などテレビ出演も多数。

麻布山善福寺に福沢諭吉の墓がある。墓石の正面に俗名、右側面には、大観院独立自尊居士と戒名が刻まれている。「独立自尊」──この4文字こそが、諭吉の生き方を端的に現した言葉なのである。

諭吉は天保5年(1835)、中津藩士の福沢百助の次男として大坂で生まれたが、三歳のときに父が病死し、母のお順が女手一つで育てあげた。長崎遊学後、大坂の緒方洪庵の適塾(蘭学塾)に入って塾頭をつとめ、藩命で江戸藩邸で蘭学を教えはじめた。これが、慶應義塾の起源だといえる。

だが、ある日、開港したばかりの横浜へ出向いて外国人に話しかけてみると、自分のオランダ語が全く通じなかった…

(※全文:1992文字 画像:あり)

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