新井白石の教え 徳川家宣を聖人的君主に育てた教育手法
6代将軍徳川家宣は3年間しか在職しなかったが、悪政の撤廃や財政改革などで手腕を発揮し、名君として評価されている。今回は、そんな家宣を育てあた新井白石について語りたい。
苦境にめげず学問に励んだ、幼少期
河合 敦
新井白石はわずか3歳で字を書き写すようになり、4歳で『太平記』を聞いて不明な点を質し、6歳で七言絶句を暗記して意味を説明するほどになった。喜んだ父の正済は、白石に一日4千字の手習いを命じ、その将来に大いに期待したが、白石が21歳のとき、父は久留里藩(土屋家)から追放され、新井家は赤貧状態となり、母や妹も失った。しかし白石は失望することなく、将来のために学問に励んだ。人と話すときは筆記用具を手元に置き、興味があればただちにその話を書き留めた。このため誰もがその博識に感歎した。
こうして白石の噂が高まると、豪商の河村瑞軒が大金を提示して孫娘との縁組みを求めてきたが、儒者として大藩に仕えようと…
(※全文:2046文字 画像:あり)
全文を読むには有料プランへのご登録が必要です。
※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。