新井白石の教え 徳川家宣を聖人的君主に育てた教育手法

6代将軍徳川家宣は3年間しか在職しなかったが、悪政の撤廃や財政改革などで手腕を発揮し、名君として評価されている。今回は、そんな家宣を育てあた新井白石について語りたい。

苦境にめげず学問に励んだ、幼少期

河合 敦

河合 敦

1965年東京都出身。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。現在、多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)、第6回 NTT トーク大賞優秀賞、2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。『早わかり日本史』(日本実業出版社)など著書多数。世界一受けたい授業などテレビ出演も多数。

新井白石はわずか3歳で字を書き写すようになり、4歳で『太平記』を聞いて不明な点を質し、6歳で七言絶句を暗記して意味を説明するほどになった。喜んだ父の正済は、白石に一日4千字の手習いを命じ、その将来に大いに期待したが、白石が21歳のとき、父は久留里藩(土屋家)から追放され、新井家は赤貧状態となり、母や妹も失った。しかし白石は失望することなく、将来のために学問に励んだ。人と話すときは筆記用具を手元に置き、興味があればただちにその話を書き留めた。このため誰もがその博識に感歎した。

こうして白石の噂が高まると、豪商の河村瑞軒が大金を提示して孫娘との縁組みを求めてきたが、儒者として大藩に仕えようと…

(※全文:2046文字 画像:あり)

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