坂本龍馬の師「勝海舟」の人材登用と育成術

蘭学塾や海軍塾を開いて多くの若者を育てた勝海舟。坂本龍馬など幕末の勇士を育て、海外事情・国防にも明るかった。時に周囲を驚かせた、勝の教育方針に迫る。

初対面で才覚を見抜く、人材登用のコツ

河合 敦

河合 敦

1965年東京都出身。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。現在、多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)、第6回 NTT トーク大賞優秀賞、2018年雑学文庫大賞(啓文堂主催)を受賞。『早わかり日本史』(日本実業出版社)など著書多数。世界一受けたい授業などテレビ出演も多数。

勝海舟は、蒸気船「咸臨丸」を操縦して幕末に太平洋を横断する偉業を成しとげ、新政府軍が大挙江戸へ襲来したさい、新政府方の西郷隆盛と会談して総攻撃を中止させた人物である。そんな勝は、蘭学塾や海軍塾を開いて多くの若者を育てた。なかでも坂本龍馬の師であるのは有名だろう。今回は、そんな勝海舟の教育を見ていこう。海舟は、文政6(1823)年に旗本の勝小吉の長男として生まれた。勝家は40俵の微禄で、父・小吉の素行も良くなかったので、正月に食べる餅も親類からもらわなくてはならない有様だった。夏に蚊帳もなく、家の柱を割って薪としたこともあったという。

勝海舟は若い頃に蘭学に興味を抱き、永井青崖に学んで…

(※全文:2114文字 画像:あり)

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