「近代人」とは何なのか

私たちは「自分らしく生きる」ことを当然の権利だと考えている。個性を大切に、他人に縛られない生き方――それが現代社会の理想とされる。しかし、この「自分らしさ」への執着が、かえって私たちを苦しめているとしたらどうだろうか。哲学者・和辻哲郎の「人間」理解を手がかりに、近代的な個人主義の源流をたどり、私たちが無意識に抱えている人間観の問題点を探ってみたい。

和辻哲郎が示した
「人間」の別の見方

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先﨑 彰容(せんざき あきなか)

社会構想大学院大学 社会構想研究科 研究科長・教授
思想史家。博士(文学)。1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業、東北大学大学院日本思想史博士課程修了。日本大学危機管理学部教授を経て2025年4月より現職。『個人主義から〈自分らしさ〉へ』(東北大学出版会、2010年)、『ナショナリズムの復権』(ちくま新書、2013年)、『維新と敗戦』(晶文社、2018年)、『国家の尊厳』(新潮新書、2021年)、『本居宣長』(新潮選書、2024年)、『批評回帰宣言』(ミネルヴァ書房、2024年)など著書多数。

前回、和辻哲郎『倫理学』が、「人間」をどのように定義するのかに注目した。結論を言えば、和辻は「人間」を人と人との間柄、つまり関係する存在だと定義した。だから何なんだ?と思う人もいるかもしれないが、この定義は意外なほど重要である。なぜなら私たちが、基本的人権の尊重とか、権利とかいう言葉を使うとき、前提にしている人間観は個人主義だからである。私たちのあらゆる出発点は、ほかならぬこの「私」、つまり個人からはじまる…もちろん普段は無意識なのだが、こうした感覚から私たちは出発し、社会参加している。

でも、和辻の場合は違ったのである。和辻は「ペルソナ」という言葉を好んで使うが、これは仮面という意味であり、社会的役割、例えば父親とか、社長とか、妻とかの役割を演じることが人間を人間たらしめているというものだった。この考えは、「〇〇らしさ」なんてものはない、という考えが主流の今日、評判が悪いだろう――前回はこんな風に書いておいた。

(※全文:1894文字 画像:あり)

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