和辻哲郎の哲学と時代の刻印
今回は、和辻が主著『倫理学』を著すに至るまでの思想的背景に迫る。同時代の哲学者ハイデガーへの意識、そして「世間」や「存在」といった言葉から、人間の本質を考察する和辻哲学の面白さを紹介する。東日本大震災の体験と重なる哲学の言葉は、私たちに何を語りかけるのだろうか。
ハイデガー『存在と時間』が
発表された年にドイツ留学

先﨑 彰容(せんざき あきなか)
社会構想大学院大学 社会構想研究科 研究科長・教授
思想史家。博士(文学)。1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業、東北大学大学院日本思想史博士課程修了。日本大学危機管理学部教授を経て2025年4月より現職。『個人主義から〈自分らしさ〉へ』(東北大学出版会、2010年)、『ナショナリズムの復権』(ちくま新書、2013年)、『維新と敗戦』(晶文社、2018年)、『国家の尊厳』(新潮新書、2021年)、『本居宣長』(新潮選書、2024年)、『批評回帰宣言』(ミネルヴァ書房、2024年)など著書多数。
和辻哲郎は、1889年(明治二十二年)の生まれである。この年は哲学者ハイデガーが生まれた年であり、またアドルフ・ヒトラーが生まれた年でもある。だから一見、抽象的な和辻の仕事も時代の刻印を帯びている。このことについては、前回すでに指摘しておいた。
1925 年(大正十四年)、36歳で京都帝国大学の倫理学担当助教授に就任した和辻は、その後、1927年(昭和二年)にドイツ留学を果たす。この年は、ハイデガー『存在と時間』が発表された年に重なる。この世界的な著作に対する挑戦状が、和辻の主著『倫理学』上下巻であり、その前の準備運動が、今、読んでいる『人間の学としての倫理学』なのである。これらの著作を読んでいると、哲学とはこういう作業をするのか、とうならされることが多い。一歩一歩思索を進め、難解な言葉の裏までえぐるような作業につきあうと、突如、人間の本質があらわれてくる。それが今、本を読んでいる自分の体験のどこかを言い当てていて、ぐさりという一突きする音が聞こえるようだ。なるほど、哲学の面白さとはこういうものだったのか。この味を一度わかってしまうと、やめられない気持ちが少しわかる。外側から見れば、机に齧りついて、本ばかり読んでいて何が楽しいのやら…と見えるだろうが、哲学青年本人の脳内は、活発に活動していて、常識では見えない世界がありありと見えている。
(※全文:1656文字 画像:あり)
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