寺子屋のしつけ 礼なき子どもは学ぶべからず

寺子屋は、読み書き算用だけを教えるところではなかった。当時の掟を紐解くと、智(文字知)に優先して礼(身体知)を重視していた寺子屋のしつけを垣間見ることができる。

智よりも重視された、清掃・応対・進退の礼

高橋 敏

高橋 敏

国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学 名誉教授
1940年静岡県下田市生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。文学博士。主として江戸時代の民衆教育史、生活文化史、博徒史など。著書に『日本民衆教育史研究』(未来社)『近世村落生活文化史序説』(同)『江戸の教育力』(ちくま新書)『近代史のなかの教育』(岩波書店)『博徒の幕末維新』(ちくま学芸文庫)近刊に『江戸のコレラ騒動』(角川ソフィア文庫)他多数。

寺子屋は読み書き算用の実学を教えてくれるところで、筆子のしつけには無関心であったかのようなイメージがある。寺子屋といえば必ず引用される、渡辺崋山が描く「一掃百態」の腕白小僧が師匠の制止を聞かず悪戯をしたい放題の情景の影響もあるが、関心が専ら読み書き算用の文字文化習得のみにあったからである。

寺子屋師匠が一度は手に取って学んだ『小学』(朱子学を大成した朱子が門人劉子澄(りゅうしちょう)にまとめさせた初心者向けの教育書)の基本は、子どものしつけともいうべき「灑掃(さいそう)・応対・進退」にあった。身のまわりの清掃、他人への応対、立ち振る舞いを通して…

(※全文:2313文字 画像:あり)

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