江戸時代の「知のネットワーク」 遊歴・遊学で熟成した教育文化

厳しい身分制度に年貢負担、幕府や諸藩の支配領域に縛られていたイメージのある江戸時代だが、その実は学者や俳人など知識人の遊歴・遊学によって築かれた知のネットワークが日本中に張り巡らされ、豊かな交流があった。2世紀半にも及ぶ江戸の平和がもたらした、教育文化の熟成を追う。

身分制度の壁を打破した、地方文人の誕生

高橋 敏

高橋 敏

国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学 名誉教授
1940年静岡県下田市生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。文学博士。主として江戸時代の民衆教育史、生活文化史、博徒史など。著書に『日本民衆教育史研究』(未来社)『近世村落生活文化史序説』(同)『江戸の教育力』(ちくま新書)『近代史のなかの教育』(岩波書店)『博徒の幕末維新』(ちくま学芸文庫)近刊に『江戸のコレラ騒動』(角川ソフィア文庫)他多数。

江戸時代といえば士農工商の厳しい身分制度の下、百姓町人は苛酷な年貢負担に追い詰められ、文字文化を創造する余力は持ち合わせていなかったかのようなイメージがあるが、事実は異なり、有力な担い手であったことはこれまで縷々述べた江戸の教育力から推して明らかであろう。

一例を挙げれば、何より驚くのは寺子屋師匠の殆どが苗字のない公の名前の他に、生意気にも文雅の香り芬々の号や諱(いみな)を名乗っていた。日常の公では身分制度に縛られて武士の窮屈な支配下にあったが、一たび文雅の領域に身を置けば、独自の世界に自立することが可能であった。読み書き算用の実学を習得した暁には...

(※全文:2554文字 画像:あり)

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