記憶に焼き付くグランドデザインとは 田中角栄「日本列島改造論」を題材に

社会構想大学院大学 社会構想研究科では、社会のグランドデザインを描き、実装できる人材を養成している。本連載では12人の社会構想家の実践から、「グランドデザイン」について解説。本稿では「記憶に焼き付く」アイデアという視点から、田中角栄の「日本列島改造論」を考察する。

改造論の概要とその意義

河村 昌美

河村 昌美

社会構想大学院大学 社会構想研究科 教授
専門分野:公民共創/地域創生/新事業構想など
担当科目:社会起業構想実践
元横浜市政策局共創推進室。事業構想大学院大学教授、産業能率大学経営学部兼任教員。行政や企業の新事業構想や地域活性化に関する講師や委員、顧問等に多数就任。著書に『公民共創の教科書』など。

多くの方々の記憶に残る日本の代表的なグランドデザインといえば、田中角栄(以下、敬称略)が1972年に発表した「日本列島改造論」(以下「改造論」)ではないだろうか。この改造論及び著者の田中角栄については、これまで多くの専門家等により研究・執筆されてきており、今更筆者がこの小稿で詳細を述べる意味は薄い。そこで今回は、筆者が社会構想としてのグランドデザインに必須な要素と考える「記憶に焼き付くアイデア」という変化球的視点から、改造論を見ていきたい。

改造論は、高度経済成長期の日本が抱えていた都会・地方の過密・過疎問題、産業構造転換といった課題に対し、国土全体の再均衡と発展を目指して、田中により発表された壮大な国家計画である。具体的には、新幹線や高速道路網の全国展開、地方への工業誘致、情報通信網の整備など、大規模なインフラ投資を通じて人とモノの流れを分散させ、地方の活性化を図ることなどが示されていた。

実際に、新幹線開通地域の活性化や工業誘致による地方経済発展、全国的な交通網の整備による物流効率の向上や観光振興など、現在につながる戦後日本の発展を多方面から推進したと言え、高度経済成長期に生じた歪みを様々に是正し、地方に雇用と経済的機会をもたらした点は高く評価されよう。

改造論と心に焼き付くアイデア
の6つの原則(SUCCESs)

スタンフォード大学教授のチップ・ハースらは、その研究や実践から、人々に理解され、記憶に残り、持続的な影響力を持ち、人の意見や行動を変える力を持つ「記憶に焼きつくアイデア」の要素として後述の6つの原則を示している。彼らが著書において、世界で最も有名かつ壮大なグランドデザインであろうアポロ計画における「60年台末までに人類を月に立たせ、安全に帰還させよう」というジョン・F・ケネディの言を代表例に挙げているように、この原則は単なるマーケティング理論に留まらず、国家のグランドデザインの構想を国民に理解・支持してもらう上でも、極めて重要な示唆を与えるものである。

これらの要素が構想というアイデアに組み込まれることで、人々の記憶に残り、行動を促し、最終的な実現可能性を高める効果が期待できるものと考えられる。

改造論は、高度経済成長期以降の日本社会を構想するグランドデザインとして、日本の社会経済の発展に多大な影響を与えてきたわけだが、そこには改造論が我々の「記憶に焼き付く」アイデアであったことが大きいのではないかと筆者は考えており、ここからは改造論をこの6つの原則の視点から見ていきたい。

①単純明快であること(Simple)  この原則では核となる部分と簡潔さの両立が重要となる。改造論の核心は「均衡のとれた住みよい日本の実現」というシンプルなメッセージに集約されよう。地方と都市の格差問題や環境汚染などの不満を抱いていた当時の国民にとって、過密な都市から地方への産業分散、高速交通網の整備などといった、わかりやすく単純明快なビジョンは多くの国民の心に響いたであろう。

②意外性がある事(Unexpected)  地方の再生やインフラ整備による「国土の再編成」という改造論の構想は、高度経済成長の恩恵を享受しつつも、その歪みが顕在化していた当時の日本・国民に対して、高速鉄道や高速道路網による1日行動圏の実現やインターネット時代を50年前に先取りしたような情報列島といった、まさに当時流行していたSF小説のような未来像は従来の政策の延長線上にない意外性があり、国民の想像力を強く刺激したのではないだろうか。

③具体的であること(Concrete)  改造論は単なる理念先行や抽象論に留まらず、具体的な数値目標やインフラ計画が図や地図で示され、視覚的に理解できる形で提示されている。田中の知識や経験もさることながら、その人柄や行動などによる人望から「角さんが本を出すなら全面協力だ」と各省庁幹部が後押ししたという証言もあり、その点も内容の具体性向上に大きく寄与したであろう。この具体性が改造論の実現可能性を人々に印象付け、期待感を高める上で効果的だったと考えられる。

④信頼性があること(Credible)  執筆者の田中自身が大臣や首相といった要職を歴任し、戦後日本の復興と経済成長を牽引してきた実績は、改造論に強い信頼性を与えたことは想像に難くない。また、経済成長が続く中で、東海道新幹線や首都高速道路などの大規模公共事業の成功体験が国民に共有されていたことも、この計画が絵空事ではないという信頼を抱かせる要因になったと考えられる。

⑤感情に訴えること(Emotional)  田中は、改造論において「地方の活性化」「故郷の発展」といった、国民が抱く郷土への愛着や、格差解消への期待といった感情面に強く訴えかけている。地方出身の田中の立身出世物語や人柄が伺える個性的な演説などもスパイスとなり、地方に住む人々にとっては、自分たちの生活が豊かになるという希望を抱かせ、都市住民にとってもより良い居住環境や故郷との繋がりを再構築できる可能性を示している。

⑥物語性がある事(Stories)  戦後の荒廃から再び立ち上がり、経済大国へと成長していた当時の日本において、その先へと進むための「日本の理想の未来」を描いたグランドデザインとしての改造論の物語は、多くの人々の心をワクワクさせ、共感を呼び起こす機能を果たしたことは容易に想像できよう。

このように、改造論は「記憶に焼き付くアイデア」の6要素を充分満たしていたことから、国民の広い支持を獲得し、高度経済成長期以降現在までの日本の国土形成に大きな影響を与えることができたものと考えられ、人々の行動を促すグランドデザインとして代表的な成功事例であったと言えよう。

これまで改造論の「明」の部分を見てきた。しかしながら、その「暗」の部分も無視はできない。改造論を契機とした問題としては、過剰な公共投資による財政問題や環境破壊など様々なものがあるが、地方創生が未だ重要な政策課題であることから見れば、画一的なインフラ整備による地方の個性喪失、都市への人口流出の加速、中央主導型の開発による地方の中央依存構造などであろう。

改造論が、現代の安心・安全かつ便利な国土の形成に重要な役割を果たしたことは事実であるが、非常にインパクトの強い「記憶に焼き付く」グランドデザインであったため、現在のVUCA時代においても、改造論の実現過程において形成された、時代に合わない政治・経済・社会構造が数多く残っている。日本人はルールチェンジを極端に避ける傾向があるが、私たちはこの改造論の功罪を改めてしっかり見つめ直し、その呪縛から逃れ、変化を恐れず勇気を持って、新たな時代に向けたグランドデザインを構想しなければならない。

(参考文献)
田中角栄(2023)『復刻版 日本列島改造論』日本工業新聞社
チップ・ハース、ダン・ハース著、飯岡美紀訳(2008)『アイデアのちから』日経BP社