渋沢栄一流・失敗や困難を克服する胆力のある人材育成の哲学

渋沢栄一は自ら設立した第一国立銀行や、経営に携わった会社において、経営破綻など数々の危機を乗り越えてきた。こうした経験をもとに後進に説き続けた独立独歩、人に寄りかからず、困難に負けない人格の形成について取り上げる。

他者との協力で
日本初の近代的銀行の破綻を回避

島田 昌和

島田 昌和

1987年 早稲田大学大学院経済学研究科経済学修士号取得、1993年 明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期中退、2006年経営学博士(明治大学)。
文京女子大学(現・文京学院大学)経営学部専任講師、ミシガン大学日本研究センター研究員、一橋大学日本企業研究センターフェロー等を経て現職。専門は経営史、経営者論。渋沢研究会代表を務める。著書に『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』(岩波新書、2011年)、『渋沢栄一と人づくり』(共編著、有斐閣、2013年)など。

渋沢は1873(明治6)年に政府高官を辞任し、第一国立銀行の総監として一民間ビジネスパーソンとなった。もちろんそれは自らが政府にあってすべておぜん立てをした日本で最初の近代的な銀行のトップとして舞い降りたのだから、見ようによっては天下りともとれる高位なポジションであった。一橋家、幕府、静岡藩、新政府と政治的な後ろ盾のような所属があった身分から自ら望んで、出来立てほやほやの銀行に移ったのだから、この銀行を守って発展させるしか、自らの拠り所はなかった訳である。

しかし、すぐにこの銀行は、存続の危機に見舞われた。発券銀行としての独立した信用力を得るために私的な銀行と見られないよう、三井と小野という大両替商を中心として出資メンバーを構成した。しかし、片方の小野組の主人筋のずさんな放漫経営を政府は見限り、破綻に追い込んだ。銀行も連鎖倒産しかねないピンチを救ってくれたのは、小野組の番頭・古河市兵衛であった。…

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