特集紹介 個人の経験やスキルを可視化し技術伝承やリスキリングに活かす

社会が複雑多様化していく中で、多様な知が生まれている。そこには、個人のカンや経験に基づく言語化されていない知識やスキルが数多くある。これらを可視化することで、企業価値を高めたり、技術伝承やリスキリングに活かすことができる。その取組みの最前線を追った。(編集部)

暗黙知の形式知化に向けた
ナレッジ・マネジメント

社会が複雑多様化していく中で、絶え間なく多様な知が生まれている。その知には、個人のカンや経験に基づく言語化されていない知識(暗黙知)があり、属人化した知識が企業の価値を影から支えていることも少なくないだろう。

こうした個人の暗黙知を他者に伝達可能な知識(形式知化)とすることで、企業価値を高めていくプロセス、いわゆるナレッジ・マネジメントの基礎理論は一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏らが発表してから20年以上が経過するが、その必要性はますます高まっているといえる。

企業が、暗黙知の形式知化に向けた取組みを進めるために、CKO(Chief Knowledge Officer:最高知識責任者)を配置する企業もある。CKOとは、社員一人ひとりが有する知識・ノウハウを組織内で共有し、企業価値の向上に活かす「ナレッジ・マネジメント」の戦略策定を担う役職だ。1995年に創業し、企業のウェブ戦略を成功に導く「研究開発型ウェブコンサルティング会社」を名乗るペンシルでは、2016 年に執行役員制度を導入し、CKOに就任した小財治氏の主導のもと、ナレッジ経営に向けた改革を推進してきた(➡ こちらの記事)。

同社のように、コンサルティングという業種は、ノウハウが属人化しやすいという課題がある。そこで、同社では、500社以上のコンサルティングの経験を通じて独自に研究・開発を続けてきたノウハウが体系化された「デジタル戦略成功シート」などを活用し、社員教育や質の高いサービス提供の両面に活かしている。

また、慶應義塾大学教授の井庭崇氏は、様々な領域における人間行為のパターン(型)を可視化・言語化した「パターン・ランゲージ」について研究している(➡ こちらの記事)。

井庭氏は、「パターン・ランゲージとは、実践におけるよいやり方の本質を言語化したものです。実践にはコツや勘所があり、それを押さえることで、自分でもよい実践ができる」と話す。井庭氏は企業との共同研究にも取り組み、当該企業のバリューを体現するような仕事を実践している社員にインタビューし、よい仕事のパターン(型)を抽出・作成。企業には営業や研究開発、人事や総務など、いろいろな部署があるが、ほどよい抽象度で書かれたパターン・ランゲージは「共通の言語」として機能する。社内研修でパターン・ランゲージを用いれば、自社のバリューを全社に浸透させる一助となる。

モーションキャプチャーや
AIを活用した技術伝承

少子高齢化が進む中で、熟練者の技術伝承の必要性が高まっているが、テクノロジーの発達によって、属人化した個人の暗黙知を効率的に形式知化する取組みも進んできている。三菱総合研究所(以下、MRI)は熟練者が暗黙知として保持しているノウハウを形式知として抽出することで、企業のAI導入を成功に導く「匠AI」を開発・提供している(➡ こちらの記事)。

「匠AI」は大量のデータがない現場でも、熟練者の知識・ノウハウを形式知化してAIに取り込み、高精度のAIを構築する枠組みで、「予測探索AI」「設計支援AI」「匠最適化AI」の3つのメニューを備える。

例えば、飲料事業会社のキリンホールディングス(以下、キリン)は、MRIとビールの新商品開発技術者を支援する「醸造匠AI」を共同開発した。キリンでは、開発したレシピや技術的な知見がデータベース化されているものの、データの活用に関しては熟練者と若手に大きな差異があったため、MRIが開発した「予測探索AI」を導入するに至った。

また、高齢化による熟練技術者の技術伝承に対して、モーションキャプチャーへの注目も高まっている。モーションキャプチャーシステム「OptiTrack(オプティトラック)」の製造元である米国NaturalPoint 社のパートナーとなり、国内での販売・サポートをしているアキュイティー社では、熟練者と非熟練者のアプローチを比較・可視化をするために、独自ソフト「SKYCOM(スカイコム)」を開発。OptiTrackで取得した3次元座標データをもとに速度や加速度、変位、相対距離といったさまざまな物理量の解析ができるという(➡ こちらの記事)。活用事例として特に増えているのは、溶接作業の評価。その他に、宮大工のかんな削り、自動車メーカーのデザイナーが作る車体モデルの削り出しなどでの技術継承に活用されている。

社員や経営人材の
スキルや人材要件を可視化

グローバル化やテクノロジーの急速な進展とともに、従来のスキルや知識が陳腐化することで、「技術的失業」のリスクも高まっている。このため、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就く」ためのリスキリングに注目が集まっているが、そのためには、自らのスキルの可視化が必要となる。

photo by jirsak/ Adobe Stock

2015年からは米Udemy(ユーデミー)社の日本の事業パートナーとなり、2019 年から法人向けの「Udemy Business」を提供するベネッセコーポレーション(以下、ベネッセ)は、AIの活用で世界最大級のリアルタイムの労働市場情報を保持し、ワンストップでリスキリングを行えるプラットフォームを運営しているSkyHive Technologies Holdings Inc.(以下、SkyHive社)と2023年4月に資本業務提携をした(➡ こちらの記事)。

両社は今後、SkyHive社の世界規模のデータとベネッセの教育知見や事業展開力を掛け合わせ、共同事業を開発していく。その際、大きな狙いとなるのは、スキルの可視化とタレントマネジメントを一気通貫で行うリスキリングのサイクルをワンストップで提供することだ。ベネッセでは将来的に、このサービスを幅広い顧客に提供することを目指すが、まずはB to Bの大企業向けから始めていく方針としている。

また、社員のスキルの可視化だけでなく、日本企業では、経営人材の発掘・育成は大きな課題であり、施策の起点となるべき「人材要件」の定義や可視化の取り組みも遅れている。グローバルな組織コンサルティングファームであるコーン・フェリーでは、海外先進企業の取り組みを調査・分析して「型」を抽出し、「人材要件」「発掘」「評価」「育成」「外部採用」という5つの観点から次世代経営人材の発掘・育成を体系化した基本フレームをまとめている(➡ こちらの記事)。最後に、可視化といえば、将来のキャリアプランの可視化も必要な視点だ。「キャリア教育」や「可視化」に関する研究に取り組んでいる福山大学講師の前田吉広氏はキャリアプランを可視化する新たな手法として、「キャリアデザインツリー・モデル」を開発している(➡ こちらの記事)。

本特集では、「スキルの可視化」に焦点を当て、組織マネジメント、技術伝承、リスキリングなど多様な視点から検証してみた。本特集が企業価値の最大化や個人の学び直しの一助となれば幸いだ。