熊本市・遠藤洋路教育長 生成AI時代、民主主義を支える「主体性を育む学び」

熊本市は早くからICT環境の整備に力を注ぎ、子どもの主体性を育む教育を推進。また、子どもたちが校則の見直しに参画するなど、独自の取組で注目を集める。熊本市教育長の遠藤洋路氏は、「子どもの頃から自分たちのルールを自分たちでつくる経験は、民主主義の礎となる」と語る。

子どもたちが自ら考え、
主体的に行動する力を育む

遠藤 洋路

遠藤 洋路

熊本市教育委員会 教育長
1974年、高知県生まれ。1997年文部省(現・文部科学省)入省。2002年ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(公共政策学修士)。2006年7月文化庁文化財部伝統文化課課長補佐。2007年4月熊本県教育庁社会教育課課長。2009年8月内閣官房知的財産戦略推進事務局総括補佐。2010年10月同省退職、同年11月に青山社中株式会社を起業。2017年4月より現職。2022年5月より兵庫教育大学客員教授を兼任。著書に『みんなの「今」を幸せにする学校』(時事通信社)。

──熊本市は、「豊かな人生とよりよい社会を創造するために、自ら考え主体的に行動できる人を育む」という教育理念を掲げています。主体性を育む教育を実践するうえで、現在の日本の学校教育の課題をどのように見ていますか。

課題の一つとして、子どもたちの主体性や創造性、行動力などを評価する方法が確立されていないことが挙げられます。それらの能力は全国学力・学習状況調査や受験などでは評価されにくく、学校現場でもどのような教育を実践すればよいのか、難しさがあります。

熊本市には市立高校が2校ありますが、5年ほど前に高校改革に着手した際、市教育委員会と生徒たちでワークショップを実施しました。市教委から「探究」を中心に据えたカリキュラムに変える案を示したところ、生徒からは「私たちは大学に行きたいので、探究ではなく受験勉強に集中したい」という声も上がりました。

しかし、最終的には探究中心のカリキュラムに変えることでまとまりました。その結果、市立高校の志願倍率が上がり、主体性や創造性を育む教育環境も築かれつつあると思います。ただし、その成果を定量的な指標としては示しづらく、保護者や子どもたちの理解を得るには、ある程度の時間が必要であったと感じています。

──子どもたちの主体性を育むために、熊本市では、どのような取組に力を注いでいますか。

私たちが特に力を入れているのはICTの活用です。Wi-FiではなくLTEのタブレットを1人1台導入し、どこにでも持ち歩いて活用できるようにしています。教室だけでなく校外学習や部活動、家庭など、様々な場面で協働しながら課題解決型学習ができる環境を整えています。

また、子どもたちが学校運営に参画し、自分たちで校則の見直しも行っています。さらに現在、コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)に子どもたちが参画し、学校運営にその意見を反映させていく取組にも着手しています。これは意見表明権といった子どもの権利を保障するためでもありますが、主体的に社会に参画する態度を養い、そのための方法を学ぶという教育の一環でもあります。

自らチャレンジをすると、様々な困難に直面します。たとえば「校則を見直したい」、「服装や髪型の厳しい縛りを変えたい」と思って声を上げたところ、多数の生徒が「今のままでよい」と思っていて、自分は少数派だったと気づくこともあるでしょう。

何かを熱心に変えていきたい人は社会の少数派であることが多く、自分がやりたいことを実現するためには、無関心だったり消極的な人たちを説得し、協力してもらうことが欠かせません。変革を進めるためには、他者との関係性の中で、いかに自分がやりたいことを実現していくのかが問われます。これは民主主義の本質であり、子どもたちは実践的にその本質を学ぶのです。

ICT活用や地域との連携が
主体的・能動的な学びを支える

──熊本市では数々の教育改革を通して、子どもたちの意識や行動は変化してきたと感じますか。

私が熊本市教育長に就任してから8年以上が経ちますが、コロナ禍前からICT環境の整備に取り組み、主体性を養う教育に取り組んできました。自ら考え、行動する子どもたちは、着実に育っていると感じます。

熊本市は早くからICT環境の整備に取り組み、1人1台端末を活用し、主体性を養う教育に力を注いでいる。

熊本市は早くからICT環境の整備に取り組み、1人1台端末を活用し、主体性を養う教育に力を注いでいる。

たとえば、市内のある小学校における5年生の算数の授業は、従来の一斉授業とは全く光景が異なります。教室の前方には、黒板の前で先生の話に耳を傾けている子がいる一方で、別の場所では1人でタブレットを使い、何かを調べている子がいます。また、数人のグループで机を囲み、話し合いをしている子どもたちもいます。

このような形で、子どもたち自身が学び方を選べる授業も実施しています。皆が好き勝手にやるのではなく、事前に全体の目標を設定し、それに基づいて子どもたちは「今日はこれをやろう」と自ら判断し、1つ1つクリアしていきます。そして最終的には、その単元の目標を達成できる仕組みです。

従来からこのような授業ができる先生も、中にはいたと思いますが、ICTによってそれがより身近になりました。「先生が教えて子どもが教わる」という受動的な教育でなく、子どもたちが主体的・能動的に学びに取り組んでいます。

──地域と連携した教育活動として、どのような取組を行っていますか。

熊本市の行政と連携し、子どもたちがまちのゴミ問題や農業、交通など、地域の課題解決に取り組んでいます。一例として、熊本市の名産であるスイカをもっと広く知ってもらう方法を考えるプロジェクト学習に取り組んだり、高校生が自分たちで考えたアイデアを市長にプレゼンしたりと、提案の実現に向けて活動しています。

熊本市の行政は教育委員会以外の部局も学校教育に協力的で、様々な部署の職員が「学校と連携したい」という意識を持っています。行政職員にとって、日々の仕事の多くは大人が相手ですが、まちの将来に向けて、子どもたちのことを考えるのは大切だという価値観が共有されていると感じます。

また、2021年度から全市をあげて教育を考えるイベント「Kumamoto Education Week」を開催しています。企業や民間団体、大学等と連携してプログラムを実施しており、産官学の協力体制が築かれています。

人口減少が進む中、若者の地域外への流出は、まちの存続に関わります。子どもたちの地元への愛着や、地域の担い手としての当事者意識を育むために、熊本市は地域全体で取り組んでいます。

2021年度から全市をあげて教育を考えるイベント「Kumamoto Education Week」を開催。企業や民間団体、大学等と連携してプログラムを実施し、産官学の協力体制を築いている。

2021年度から全市をあげて教育を考えるイベント「Kumamoto Education Week」を開催。企業や民間団体、大学等と連携してプログラムを実施し、産官学の協力体制を築いている。

生成AIが進化する時代、
学校教育が果たすべき役割とは

──近年、ICTの中でも生成AI等の進化が見られます。生成AIの教育における可能性について、どのように考えていますか。

私自身も生成AIを使っていますが、正直、教育や社会に与えるインパクトは未知数であると感じます。

極端な話、将来にはシンギュラリティ(技術的特異点)に到達し、AIとロボットが人間の能力を超えて、あらゆる仕事を代替する時代になるかもしれません。そうなれば、学校で学ぶことの意味や、勉強の必要性に対する考え方が根本的に変わる可能性があります。そこまで極端な場合でなくても、「学校で何を教えるべきか」など、先生の役割が問われることになります。

先生の役割について近年、「知識を教え込むのではなく、子どもたちの伴走者になるべき」とも言われます。しかし、個別に伴走しながらアドバイスするというのは、まさに生成AIの得意分野でもあります。今後、子どもたちの相談相手の役割も、かなりの部分は生成AIが担えるようになるでしょう。

また、最近の教育では、思考力や判断力、表現力が重要と言われてきましたが、それらも生成AIが得意な分野です。それならいっそ、AIより人間の方が得意なものなどない、という前提に立って考えた方がよいと思います。「AIはこれができないから、これこそ人間の役割だ」という論法は、AIの進化とともに破綻していくでしょう。

AIができないことを探すのではなく、人間としての価値や生き方を見つめ直すべきです。社会の中で生きる我々は、人間としての権利を守るためにこそ、基本的な生活能力や社会の基本的な価値観を学校で学ぶのです。堅い言葉で言えば、日本国憲法が定める基本的人権や国民主権、平和主義を深く理解し、それらを支える社会の仕組みやルールを自分たちで構築していく。そのために必要な力を身につけられようにするのが学校教育の使命だと思います。

私は現在、日本や世界の民主主義は危機にあると感じています。力による支配が台頭する昨今の世界情勢を見ると、日本の民主主義も安泰ではありません。

民主主義は不断の努力によって実現されますが、日本人は公共の問題を「誰か(行政・政府)がやってくれるだろう」と考える“お上意識”のようなものがあって、社会への働きかけに乏しい傾向があると思います。本来は一人一人が主権者であり、社会をつくる担い手です。学校教育を通して、社会の担い手としての意識を身につけることが大切です。

熊本市において、子どもが自分たちで校則の見直しを行う取組の背景には、こうした狙いがあります。子どもの頃から自分たちのルールを自分たちでつくる経験は、民主主義の礎となります。こうした積み重ねが将来、日本の民主主義が揺らいだ時に、それを自分たちの手で守り抜くことができる力になると信じています。

子どもが自分たちで校則の見直しについて議論。

子どもが自分たちで校則の見直しについて議論。

持続可能な部活動の実現へ
新しい仕組みづくりに挑戦

──熊本市では今後、どのような取組に力を入れていきたいと考えていますか。

現在、熊本市の教育行政が取り組んでいる最も大きなテーマは「部活動改革」です。近年、全国で部活動の地域移行・地域展開が議論されていますが、熊本市は「部活動を学校に残す」という方針を打ち出しました。

私たちが部活動を学校に残すことを決断した理由の一つは、学校が持つ「福祉的な役割」を重視したからです。学校は単に勉強するだけでなく、子どもたちが生活を共にする「居場所」です。そして部活動は、放課後における「居場所」機能の大きな柱です。

たとえば、勉強は苦手でも運動が得意な子にとって、部活動は学校で活躍し、皆に認められる貴重な場です。それが学校から切り離されて地域のクラブに移行すれば、学校は勉強ができる子しか評価されない場所になりかねません。地域のクラブで活躍しても、その活躍を同じ学校の子どもたちが知らなければ、学校で認めてもらえる機会にはならないのです。

従来の部活動に多くの問題があったのは確かです。学校に部活動を残す場合、まずは学校の先生方が「ただ働き」のような形で指導するのは、是正しなければなりません。先生方でも地域の方でも、指導したい人が適正な対価を得られるようにすることで、持続可能な仕組みを構築していきます。

指導者の人材を確保するために、たとえば地域の人や小学校の先生方の中にも、「中学校の部活動で指導をしたい」という方はいますし、中学校の先生が指導する場合でも、自分の勤務校でなくても担当できるようにすれば、部活動の持続性は高まります。こうした仕組みを実現するためには、資金が必要ですから、保護者や企業から幅広く資金を集める仕組みをつくり、財源を確保していきたいと考えています。

熊本市では現在、新しい部活動の形をつくることに挑戦しています。ただし、自治体によって状況は異なりますから、すべての自治体が部活動を学校に残すべきとは思いません。それぞれの地域に応じたやり方を、自分たちで考えることが大切です。部活動についても、各地域の主体的な取組が求められると考えています。