熊本大学 共創を通じて社会に貢献し、地域イノベーションを牽引する
「共創を通じて社会に貢献する教育研究拠点大学」を目指し、九州における中核的総合大学として、確かな存在感を放つ熊本大学。近年は半導体業界で活躍する人材の育成にも注力する。教育研究の特徴や成果、今後のビジョンについて、2021年度から同大を牽引する小川久雄学長に聞いた。
75年ぶり新学部を設立
半導体に沸く地域を支える

小川 久雄
熊本大学長
1953年、徳島県阿南市生まれ。1978年熊本大学医学部卒業、同大学第2内科入局、1981年国立循環器病センターレジデント。1987年熊本大学助手、講師、助教授を経て2000年に循環器内科学教授に就任。2005年熊本大学医学部附属病院副病院長、2011年国立循環器病研究センター副院長兼任、2016年国立循環器病研究センター理事長、2021年熊本大学学長。
──熊本大学の将来像と目指すビジョンをお聞かせください。
2022年4月、2030年を見据えたビジョン「熊本大学イニシアティブ2030」を発表しました。ここで掲げたのは、「地域と世界に開かれ、共創を通じて社会に貢献する教育研究拠点大学」という目標です。この「共創」という考え方は、私たちにとって非常に重要なものです。やはり何事も一人では成り立ちません。誰かと一緒に立ち、つくっていくことで初めて、意味のある成果が生まれると考えています。また、大学経営や教育・研究の基本姿勢としては、「常に情報を発信し続ける大学」「常に外から見える大学」「常に外からの声に耳を傾け、発展し続ける大学」を掲げてきました。
ご存じのように、世界的な半導体メーカーのTSMC(台湾積体電路製造)の生産拠点が、昨年末から熊本で稼働を開始しました。もともと熊本にはソニーグループや東京エレクトロンといった企業があり、それだけでも存在感は大きかったのですが、TSMCの進出によって周辺産業が一気に拡大しました。今最も変化の激しい地域になっていると感じています。こうした地域の急成長に、大学としてもきちんと応えていく必要があります。「イニシアティブ2030」の背景には、そうした強い思いも込められています。
──大きな変化に対応するため、どのような教育活動に力を入れていますか。
江戸時代の藩校・再春館と蕃滋園を源流として、本学は268年もの非常に長い歴史を持つ大学です。伝統を重んじる風土が根付いていますが、時代の変化に応じた改革も不可欠です。1949年に熊本大学となって以来、実は新しい学部を設けたことが一度もありませんでした。でも、それではもう時代に対応できない。そう強く感じていたこともあり、新たな学部相当組織として、実に75年ぶりとなる2024年度に「情報融合学環」を立ち上げました。「データサイエンス総合コース」と「データサイエンス半導体コース」の2つを設けています。1年次は共通で学び、2年次進級時に、それぞれのコースに分かれて専門性を高めていく構成にしています。
これは半導体産業の動きを踏まえて設置したもので、2021年の秋ごろから準備をはじめ、スピード感を持って進めてきました。翌2022年には、「先端科学研究部附属半導体研究教育センター」を設置。そして2023年には、学長直轄の「半導体・デジタル研究教育機構」を立ち上げ、関連分野の教員の採用や体制整備を進めてきました。情報融合学環は、こうした一連の流れの中で実現したものです。
さらに情報融合学環と同時に、工学部には「半導体デバイス工学課程」も新設しました。これは、日本で初めてとなる半導体の専門課程です。業界と連携しながら、実践的かつ最先端の教育・研究を展開し始めています。

工学部半導体デバイス工学課程では、各研究室ゼミで活発な議論が繰り広げられ(左)、最先端のデジタル回路の設計が進んでいる(右)。
──2026年度には、新たに「共創学環」を設置予定と伺っています。
「共創学環」では、産学官金の連携による文理融合型の教育を展開し、地球規模の視野と地域の視点をあわせ持ち、共生・共創する地域をデザインできる人材の育成を目指します。具体的には、課題を自ら設定し、解決に導く力を持った人材、そして社会イノベーションを起こせる人材を育てていきたいと考えています。「地域イノベーションコース」と「グローバルイノベーションコース」の2つのコースを設置する予定です。いずれのコースでも、経営やマネジメントの視点は欠かせません。経営戦略やマーケティングといった分野の知識も取り入れながら、経営感覚を持ち、実践的に課題を解決できる人材を育てていく構想です。
この学環の立ち上げにあたって、学環長候補となるのが金岡省吾先生です。八代、天草、水俣、阿蘇といった地域で、講義を通じて実際に地域イノベーションを実践してこられた方で、その知見と経験は、この学環にとって大きな力になると期待しています。
共同研究、人材育成を強化し
オープンイノベーションを推進
──研究について、熊本大学の強みや特色をお聞かせください。
文部科学省の「地域中核・特色ある研究大学強化促進事業(J-PEAKS)」に採択され、本学は「地球規模の課題解決や社会変革に繋がるイノベーションを創出する機能」「地域産業の生産性向上や雇用創出を牽引し、地方自治体、産業界、金融業界等との協働を通じ、研究力を活かして地域課題解決をリードする機能」を核として、半導体集積地のモデル都市構築を先導し、世界中から多様な人材が集まる研究教育拠点大学になることを掲げています。
半導体研究に関連した建物として、企業等とのオープンイノベーションによる共同研究を行う研究棟「SOIL(ソイル)(Semiconductor Open Innovation Laboratory)」と、高度情報・半導体人材育成を目的に情報融合学環等の学生や教員が使用する講義室・演習室等を備えた教育棟「D-Square(ディースクエア)」を建設しました。この「SOIL」と「D-Square」の設置により、共同研究とともに、デジタル化に対応したイノベーション人材と半導体人材の育成の相乗効果を狙い、さらに教育の国際化を進めていきます。
また、他大学との連携も欠かせません。その一環として、2023年8月には「東京大学ナノシステム集積センター連携拠点」、いわゆる「東大分室」を学内に設置しました。大学や学部の垣根を超えた共同研究を推進する拠点として機能させていく計画です。1つの大学だけで完結するのではなく、他大学と積極的に交流し、学べることはどんどん吸収する。そうして得た知見を、社会で実際に活躍できる人材の育成に活かしていく。この姿勢を大切にしています。

半導体研究の新たな拠点として今春オープンした「SOIL」と「D-Square」。研究者と企業、学生が共同で学びながら実装研究を進める場として活用される。
──人材育成に関して、この数年の手応えをどう捉えていますか。
手応えは確実に感じています。今年の情報融合学環の入試倍率は3.9倍、工学部の半導体デバイス工学課程は4.7倍と高い倍率になっています。非常に大きな反響をいただいており、九州以外の地域からも志願者が集まっているのは、とても嬉しいことです。
さらに今年度からは、大学院自然科学教育部に「半導体・情報数理専攻」を新設しました。半導体業界では、修士課程修了直後の人材が、即戦力として求められるパワーゾーンになっています。そうしたニーズに応えるため、従来の定員よりも約70名増やし、修士課程で120名、博士課程で22名を受け入れる体制にしました。
情報融合学環や半導体デバイス工学課程を2024年度に設置したばかりなので、普通に考えれば、学部生が卒業するタイミングにあわせて大学院を整備するのが順当でしょう。でも、私はそれでは遅いと思いました。というのも、半導体デバイス工学課程には3年次から編入してきた学生がすでに20名いるため、彼らが大学院進学を希望した時点で受け皿が必要だったからです。これまでも本学には、人材育成のスキームは一定程度整っていましたが、今回の大学院新設によって、おそらくこれまでの2倍以上の人材を業界に送り出せる体制が整ったと感じています。
実学を担う人材を次々と招聘
研究成果の社会実装を加速する
──リカレント教育については、どのような取り組みに力を注いでいますか。
社会人のリスキリングも急務だと感じています。そこで、働きながら学べる場として「熊本大学半導体リスキリングセンター(仮称)」の開設を決め、現在、準備委員会を立ち上げて具体的な検討を進めているところです。
センター長には、半導体メーカー・キオクシアで技監・技術者教育委員長を務めた青木伸俊特任教授を迎え、急増している半導体業界の若手社員に対して、体系的な教育機会を提供していく予定です。加えて、半導体部門長には元九州大学教授であり佐世保工業高等専門学校長も務めた中島寛卓越教授を、技術経営部門長には元JPモルガン証券マネージングディレクターであり、東京理科大学教授やJEITA(一般社団法人電子情報技術産業協会)半導体部会の政策提言タスクフォース座長も務めた若林秀樹卓越教授をお招きしています。このように、本学では現在、実社会での実績を持つ方々を次々と教員として迎え入れています。
私は、どんな分野でも指導者の存在が不可欠だと考えています。研究ももちろん大切ですが、それを現実社会に実装していく力こそ重要です。
──実務家教員と研究者教員のコミュニケーションに関して、何か工夫していることはありますか。
これは非常に大事な点だと思っているのですが、大学の中では、いまだに「研究者は研究だけをやっていればいい」という考え方が根強く残っているように感じます。でも私は、あえてそこに実学の視点を持つ人材をどんどん入れていきたいと考えています。
たとえば若林先生のように、実社会の経験を背景に「社会に役立つ研究こそ、研究の基盤になる」とおっしゃる方がいて、そうした考えを少しずつ学内に浸透させていこうと、今まさに取り組んでいるところです。これまで大学では、研究論文の数や質が教員評価の中心でしたが、今後はそこに産学連携の要素も加えられないか、検討を進めているところです。
かつて九州は「シリコンアイランド」として注目されましたが、その後は急速に勢いを失い、多くの関連企業が撤退しました。現在、「新生シリコンアイランド九州」と言われていますが、私は半導体産業単体に頼りきるのは危ういと思っています。半導体を核にしながらも、それを活用した周辺産業をしっかりと育てておかないと、また同じような浮き沈みに巻き込まれかねません。
だからこそ、大学としても半導体だけにとどまらない発展が必要です。他の学部にも、「半導体を手段として、AIやデータサイエンスと組み合わせた新しい領域に挑戦してほしい」と、強く働きかけています。専門領域の違う研究者同士が顔を合わせる機会を設けるといったことも、かなり意識的に行っています。
資金不足を補う意識改革で
全国ランキング上位を狙う
──産学連携に向けた今後の取り組みをお聞かせください。
手前味噌ではありますが、私が2021年に学長に就任してから、産学連携の実績は大きく伸びています。例えば2023年度の「民間企業からの研究資金等受入額」では、熊本大学は全国順位を前年から3つ上げて18位に、「民間企業との共同研究費受入額」では前年から2ランク上がって20位となりました。
さらに、日本経済新聞が今年6月に発表した「卒業生が活躍する大学ランキング」では、熊本大学が全国6位にランクインしました。これは、上場企業などの人事担当者が「行動力」「コミュニケーション能力」「知力・思考力」「成長力」といった観点で卒業生を評価したランキングで、非常に嬉しい結果でした。
様々なランキングがありますが、何事においてもベスト10には入っておきたいところです。学生に発破をかけようとすると、「熊本大学より偏差値が高いところもあるので」などと言われますし、教員からも「それは難しい」といった反応が返ってくることもあります。でも、少なくとも挑戦する気概がほしい。
もちろん、研究費は決して潤沢ではありません。ご承知の通り、国立大学の財政状況は本当に厳しい。そこで科研費の獲得には力を入れるよう、繰り返し伝えています。さらに本学では、施設に企業の愛称や商標、ロゴマークなどを掲示できる「ネーミングライツ」のパートナーを常時募集しています。ネーミングライツ契約は、これまでに12件に上り、年間3,300万円の収入見込みとなっています。また、クラウドファンディングもこれまでに6件に挑戦してすべて目標達成しており、支援総額は約4,000万円に上りました。
「研究費がない」と嘆くだけでは何も変わりません。どうすれば自分たちで資金を集め、研究を前に進めていけるか。教職員には少し厳しいことも言っていますが、そうした意識改革も含めて変わり続けることで、「熊本大学イニシアティブ2030」に掲げた「地域と世界に開かれ、共創を通じて社会に貢献する教育研究拠点大学」を目指していきます。