江戸時代の芸備地方の教育を支えた、広島藩・福山藩の2つの藩校と廉塾

江戸時代、広島県には広島藩と福山藩の2つの藩があり、それぞれ独自の武士教育を行っていた。また、豪農商や町人たちの間にも学問が浸透しつつあり、学者による私塾も生まれ、中には地方から学生が集まる人気の塾もあった。これらの教育施設から、近世広島県の教育の特徴を見ていく。

武士に限らず、百姓や町人も受け入れた、広島藩の藩校

広島県には江戸時代、広島藩と福山藩の2つの藩があり、それぞれが武士の子弟を教育するための藩校を18世紀に設立した。

広島藩の第7代藩主、浅野重晟公の肖像画

広島藩の第7代藩主、浅野重晟公の肖像画

提供:修道中学校・修道高等学校

広島藩は18世紀初頭から武士教育に力を注ぐようになり、儒員による家塾教育を奨励していた。1725年(享保10年)には、より本格的な武士教育を行うため、第5代藩主の浅野吉長が白島稽古屋敷の一部に初の藩校となる「講学所」(1734年に講学館と改称)を創設した。しかしその後、講学館は経費節減令によって約40年にわたって廃止となり、武士教育の場は家塾へと戻ってしまっていた。それを残念に思っていた第7代藩主の浅野重晟は…

(※全文:2020文字 画像:あり)

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