近世の三重県教育史 本居宣長の私塾の伝統、国益にかなう人材育成にも注力

心のふるさとである伊勢神宮に育まれた伝統を背景に、松阪出身で国学の大成者である本居宣長は、日本の古典に流れる伝統の再発掘に努めた。諸藩における教育については、県随一の大藩である津藩の藩校有造館を例に、近世の教育事情を振り返る。

津藩の有造館
学問と政治の一体化を説いた

江戸時代の中期、人材育成を目的として各藩には次々と藩校が設立された。諸藩のなかで最も早い時期に設立されたのは長島藩の文礼館で、1722(享保7)年のことだった。次いで1790(寛政2)年に亀山藩の明倫舎、1813(文化10)年に桑名藩が進修館を創設している。ほかにも、1816(文化13)年に菰野藩の麗沢館、1820(文政3)年に津藩の有造館、1823(文政6)年に松平藩の立教館などが設立された。

津藩で有造館を設立したのは第10代藩主の藤堂高兌である。父である9代藩主の高嶷が藩校の設置を強く望んでいたが、当時は天災や凶作が相次ぎ、深刻な財政難に見舞われ、学校の設立どころではなかった。藩政改革に乗り出したものの、小農民の強い反発を招き、寛政の一揆が起こった。その後、父の後を継いだ高兌は緊縮政策をとって…

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