逆境を越えて地域を再生「捉え直す力」が希望を紡ぐ

原発事故からの復興に取り組む一般社団法人RCFの代表理事・藤沢烈氏は、福島での活動を通じ、逆境を成長の糧とする人材育成に携わってきた。厳しい現実の中で、人と地域はいかに変わっていくのか。実践者たちの歩みに伴走してきた藤沢氏に、次世代へのメッセージを聞いた。

福島で復興支援
人が成長し、地域は変わっていく

藤沢 烈

藤沢 烈

一般社団法人RCF 代表理事
1975年京都府生まれ。一橋大学卒業後、マッキンゼー日本支社を経て独立。東日本大震災後、一般社団法人RCFを設立し、全国での復興事業及び地方創生事業を、行政や企業など多様なセクターとの連携を通じ展開している。能登官民連携復興センター長、ふくしま12市町村移住支援センター長、政府復興推進委員。

原発事故から15年を経て、福島では今なお復興への歩みが続いている。その現場に長く関わり続けてきた一人が、一般社団法人RCF代表理事の藤沢烈氏だ。東日本大震災を機にRCFを設立し、被災地における情報分析や事業創出に取り組んできた。現在は「移住支援センター」の運営などを通じ、福島の地域づくりを支えている。

藤沢氏が力を注ぐのは、被災地域に新たに移住し、地域で仕事や暮らしを築こうとする人々への支援だ。

「この地域で、チャレンジする人たちを支える仕事をしています。新たな役割や仕事を通じて、その人らしく働き、暮らしていけることが復興につながると考えています」

福島の復興には、長い年月が必要になると藤沢氏は見ている。被災地支援について、震災直後には多くの支援者が集まるものの、復興に10年以上関わり続ける人は少ない。藤沢氏は長期にわたり地域と伴走する存在であり続けることが、自身の役割だと考えている。

藤沢氏にとって復興とは、単に「元に戻すこと」ではない。原発事故という未曽有の出来事を経験した地域が、変化を受け入れながら、新たな地域や暮らしの形をつくっていく。その歩み自体に大きな価値があると考えている。

「ハードはある程度戻せたとしても、多くの人が地域を離れており、以前と同じ状態にはなりません。そうした変化を受け入れながら、一人一人が変わっていく。人が成長し、地域も変わっていく。そのプロセスを通じて、福島は前に進んでいると思います」

藤沢氏がセンター長を務める「ふくしま12市町村移住支援センター」。移住希望者の相談・支援拠点。

藤沢氏がセンター長を務める「ふくしま12市町村移住支援センター」。移住希望者の相談・支援拠点。

厳しい現実の中にあっても、
「希望」を見出す実践者たち

 藤沢氏は、逆境の中でも前へ進み続ける人々の姿勢から大きな学びを得ていると語る。その一人が、南相馬市小高地区で活動する和田智行氏だ。原発事故による避難指示が解除される前から現地に入り、2014年に株式会社小高ワーカーズベース(現・OWB株式会社)を創業した。(本特集106頁参照)

人が住めなくなった地域を前に、和田氏は絶望するのではなく、「だからこそ可能性がある」と捉え直した。

藤沢氏は「課題がたくさんあるからこそ、新しい挑戦も生まれます。和田さんは『100の課題から100の事業を創出する』という信念のもと、食堂や仮設スーパー、コワーキングスペースなどを次々と立ち上げ、起業家を育成しています」と語る。

また、福島の水産物販売に携わる小野崎雄一氏も、逆風の中で挑戦を続けてきた一人だ。事故後、福島の魚は流通が止まり、消費者からも敬遠された。しかし小野崎氏は、補償に頼るのではなく、「本当に美味しいものを届ける」ことに正面から向き合った。将来の福島を見据え、地域に新たな仕事と価値を生み出そうとする姿勢は、次世代のモデルにもなっている。

さらに藤沢氏が印象深い事例として挙げるのが、南郷市兵氏による教育の再生だ。原発事故によって地域から学校が失われ、子どもたちは遠方へ通わざるを得なくなった。その中で南郷氏は、文部科学省から出向し、県立ふたば未来学園中学校・高等学校(福島県双葉郡広野町)の立ち上げに携わり、副校長も務めた。ゼロから立て直された教育環境は、今では全国から生徒が集まる先進的な教育の場へと発展している。

三者に共通するのは、藤沢氏が「捉え直す力」と呼ぶ視点だ。人口がゼロになった町を、「これから人が増えていく地域」と捉える。衰退した産業を、「伸びしろが大きい」と捉える。厳しい現実の中にも可能性を見出し、それを10年単位で実践し続けてきた軌跡が、現在の福島につながっている。

「挑戦を続ける方々は、前向きに捉え直す力が非常に強い。普通なら絶望してしまう状況の中でも、『そこに希望がある』と考える。その視点の転換こそが重要なのだと感じます」

社会課題解決の担い手には
覚悟と倫理観が不可欠

藤沢氏が社会課題に関心を持った原点は、1995年の阪神・淡路大震災にある。藤沢氏は当時20歳。倒壊した建物や高速道路の映像を見て「社会は決して盤石なものではなく、脆さを抱えているのだ」と強く感じたという。

「既存の仕組みの中で働くだけではなく、社会そのものをつくり、支える仕事がしたいと思いました。それが社会課題解決に関心を持ったきっかけです」

その後、一橋大学卒業後にマッキンゼー・アンド・カンパニーへ入社し、コンサルタントとして経験を積んだ。独立後はNPOや社会事業に特化したコンサルティング会社を経営し、社会課題への関与を深めていった。

そして2011年の東日本大震災を機に、活動の軸足を社会課題領域に本格的に移していった。現在は福島に加え、能登半島地震への支援にも取り組んでいる。

藤沢氏は若い世代に対して、社会課題に向き合う仕事の厳しさについても率直に語る。「『良いことをして称賛されたい』という動機だけでは続きません。誰かから褒められなくても、『これは大事だ』と思ったら続けられる人が、この仕事をするべきだと思っています」。

さらに藤沢氏は、前提として「人としての成熟」が必要だと強調する。「社会課題に向き合う仕事は、高い収入を目的に取り組むものではありません。きちんとした倫理観を持って取り組まなければならず、人としての成熟が求められます。まずは職業人として自分を鍛え、その上で社会に関わってほしいと思っています」

社会課題に向き合うことは、自分を犠牲にすることではなく、専門性や実力を社会に生かす営みでもある。福島で挑戦を続ける実践者たちの姿を通じて、藤沢氏はそう確信している。