近世の鳥取県教育史 鳥取藩士や庶民を育んだ藩校や郷校・私塾

北は日本海に面し、南は中国山地にさえぎられた鳥取県。近世の歴史を振り返ると、関ヶ原の戦いの後、1632年には池田光仲がほぼ県全体を支配するようになり、鳥取藩は池田氏の手によって治められた。藩を支える人材を輩出した藩校や、庶民の向学心に応えた郷校・私塾の一端を紹介する。

藩校尚徳館の創設と発展、家臣団の士風高揚に寄与

鳥取藩の藩校尚徳館は、1758(宝暦8)年1月18日に開講した。時の儒学者箕浦徳胤(みのうらのりたね)が藩主の命を受けてつくった『尚徳館記』によれば、藩校で学ぶことができるのは士分以上の当主とその子弟で、徒士以下や農工商の者の入学は許されなかった。尚徳館では学問の目的を「篤実」の土風に置き、『孝経』『論語』『詩経』『書経』『礼記』をテキストとした。

その講釈は「古来の注説」によるものとして、とくに異説を立てて是非を争うことがないようにとされていた。そのため、幕府にしたがって…

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