近世の福島県教育史 白虎隊も学んだ会津の藩校「日新館」

東北地方の最南端に位置する福島県。江戸時代、会津藩には全国有数の藩校が創設されるなど、教育に熱心な風土だったが、幕末の戊辰戦争では、その学び舎に集う少年たちを含む多くの尊い命が奪われた。そうした背景も踏まえ、藩校「日新館」の様子を主軸に当時の教育の一端を振り返る。

藩改革の中心に教育の振興
藩校「日新館」を創設

藩校「日新館」を創設した5代藩主の松平容頌。

藩校「日新館」を創設した5代藩主の松平容頌。

出典:Wikipedia(石井伯和(Norikaz Ishii / User:Chiether), CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

会津における教育は、1664(寛文4)年、日本で初めて民間により創設された庶民のための学問所といわれる「稽古堂」に始まる。会津藩教育の祖といわれる儒学者・横田俊益の提唱によって、若松桂林寺町の北に建てられた。肥前国(佐賀県・長崎県)出身の岡田如黙(じょもく)が校長となり、俊益が講義を行った。武士や庶民の身分に関係なく、多くの人々が通い、講義に耳を傾けたといわれる。会津藩の初代藩主・保科正之は、稽古堂の税金を免除するなどして、人々の学びを大いに奨励した。

創立から10年を経た1674(延宝2)年、侍が庶民とは別に学ぶため、…

(※全文:2230文字 画像:あり)

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