管理職にこそ欠かせない 「感謝」を活かすマネジメント

ダイバーシティ推進やテレワーク拡大など現代的課題を抱える企業がマネジメントで見落としがちなのが「感謝」の有用性だ。本稿では、マネジメントにおける感謝の効果や促し方などを紹介する。

複雑化する組織マネジメントや
部下育成に、「感謝」が有効?

正木 郁太郎

正木 郁太郎

東京女子大学 現代教養学部 心理学科 准教授
博士(社会心理学)。東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程修了。組織のダイバーシティ&インクルージョンなど、働く人や職場の社会心理学や組織行動論の研究をしている。主な著書は『感謝と称賛――人と組織をつなぐ関係性の科学』(東京大学出版会、2024年)、他。

組織のマネジメントや部下育成の難易度は年々高まっています。ダイバーシティ推進に伴って多様な価値観や属性の社員が一緒に働くことが当たり前になり、テレワークの拡大で同じ空間に集まって働く機会も減っています。こうした組織の「遠心力」が強まる動きは今後も続くと予想されますが、どのような部下との接し方や組織マネジメントが管理職にとって有効なのでしょうか。

本稿では社会心理学の研究から、こうした複雑さが増す組織運営の手段として、「感謝」の習慣やスキルの意義を紹介します。感謝だけですべての問題は解決できませんが、感謝がなぜ組織の足腰を強め、どのような具体的な工夫が可能かを解説します。

組織における感謝の効果とは?

『感謝と称賛 人と組織をつなぐ関係性の科学』

『感謝と称賛
人と組織をつなぐ関係性の科学』
正木 郁太郎 著
280頁/3,200円+税
東京大学出版会

職場で感謝や称賛を交わすことは、なぜ重要なのか。本書は、組織のマネジメントに有用な感謝や称賛の効果や促進法について質問紙調査とアプリの活動データから可視化・検証する。

感謝とは、他者が自分に何かの利益を与えてくれたときに、それに対して感じる感情や、それを伝える行為です。単純に「ありがとう」と言葉や文字で伝えることもあれば、贈り物やお返しなどで非言語的に伝えることもあります。

社会心理学の研究では元々、感謝の効果が、友人や恋人同士、大学の先輩と後輩の間などのプライベートの対人関係を主な対象として様々なデータで検証されてきました。こうした研究では、感謝の効果は主に3つに大別されます。(1)幸福や心身の健康といった「意識」を前向きにする効果、(2)人助けなどの利他的な「行動」に与える効果、(3)信頼などの「対人関係」を改善する効果です。

さらに、感謝の効果は「感謝をした者」「感謝を受けた者」の双方に表れることも分かっています。例えば、感謝をした者は「自分は誰かに助けてもらえている」という物事の良い側面に注目するようになり、他方の感謝を受けた者は「自分は人の役に立つことができた」と実感して自己効力感を高めることができる、などの効果がみられています。それぞれメカニズムは異なりますが、「感謝の三つの効果が、感謝に関わる双方に生じる」点は共通しています。

そして感謝は組織でも有効なことが2010年代以降の研究で分かってきました。一見すると組織やビジネスは「契約」「報酬」「義務」といったドライな関係で作り出される環境にも思えます。しかし組織もまた感情に左右されやすい「人」が集まって成り立つため、感謝は組織でも有効なようです。効果も先ほどの(1)~(3)と同じ枠組みで考えられ、(1)モチベーションやエンゲージメントの向上、(2)主体的な挑戦や人助けの行動の促進、(3)上司―部下やメンバー間の信頼関係やつながりを強める、などの効果が分かっています。

現代だからこそ感謝が重要な理由:
ダイバーシティ推進を例に考える

そして私は、冒頭に述べたような課題が山積する現代の組織でこそ、感謝が一層有効だと考えています。

一例がダイバーシティ推進です。社会心理学では、人は自分と似た者に好意を感じて、似た者同士でグループを作りやすく、結果的に「似ていない者」と対立を起こしやすいことが知られています(社会的アイデンティティ理論)。この理論から、組織でダイバーシティが高まる、つまり異なる価値観や属性の者が一緒に働くようになると、同質的な組織と比べて相互理解が難しくなり、分断も起こしかねない可能性が指摘されています。

しかし、ダイバーシティ推進の問題点が相互理解の難しさと分断にあると分かれば、対策も検討できます。そうした対策の中でも最も簡単に、かつ全員にできる日々の工夫が感謝だと私は考えています。ここで、私が関わった研究をいくつか紹介します。

一つめは、ある大企業の従業員約2,000人を対象に質問紙調査(組織サーベイ)を実施した研究です。調査では回答者の組織に対する愛着の強さや、日頃誰かから感謝される経験の頻度などを質問しました。統計分析の結果、(1)日頃から感謝の習慣がある部署ほど構成員が組織に愛着を持って働けており、(2)その傾向はダイバーシティが高い部署で一層顕著でした(図)。「言わなくても分かる」同質的な組織以上に、「言わないと分からない」多様性が高い組織でこそ、意識的に感謝を伝えて信頼関係を強める工夫が必要なようです。

図 一つめの研究の分析結果

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二つめは、「感謝や称賛を交わすアプリ」の利用結果の分析です。BIPROGY(株)、(株)博報堂、(株)博報堂コンサルティングの三社が運営し、私もアドバイザーを務めている「PRAISE CARD」と呼ばれるアプリでは、同じ企業や部署などのコミュニティ内で感謝や称賛のカードを贈りあうことができます。ある導入企業で、その活用度と、期間前後のエンゲージメント・サーベイの得点の関係を分析したところ、活用度が高い組織では「従業員が歓迎されたり尊重されているか」を表すインクルージョンと呼ばれる得点が前年よりも向上していました。

感謝は信頼関係や助け合いを強めるコミュニケーションです。だからこそ、組織が分断されがちな状況では「はっきり、しっかり」伝える習慣が組織をつなぎ直す役割を果たすのかもしれません。

どのように感謝を伝えるか?
管理職の立場での実践法と注意点

様々な効果が期待でき、また現代の組織運営にも有効と考えられる感謝ですが、組織マネジメントに加えて部下の育成にも重要です。上司から積極的に感謝を表すことで、部下の立場からすれば「上司は自分の貢献を認めてくれる人だ」という信頼につながりますし、部下の自信や主体性も高めます。では、実践にあたっての注意点や実践の工夫として、どのようなことが考えられるのでしょうか。

まず主な注意点ですが、(1)はっきり、具体的に伝える意識を持つことが何よりも重要です。私がある企業で実施した質問紙調査では、多くの人が「私は感謝している」一方で、「でも私は周りから感謝されていない」と考える傾向がありました。感謝は社交辞令と解釈されやすく、また「伝えたつもり」にもなりやすいので、意識的に言葉にすることが重要です。

(2)何に関して感謝を伝えるかも重要です。部下からすると「何をしたら上司から感謝されたか」は、自分の次の行動を決める重要なメッセージとなります。例えば、同僚のフォローをしたときに感謝されたら自社では助け合いが重要だと理解し、業績をあげたときに感謝されたら業績こそが求められていると理解しがちです。上司に深い意図は無かったとしても、部下は深読みしがちなため、管理職自身も「自分は何を大事にしているか」を気にかけるとよいでしょう。

管理職だけの努力を超えて、
感謝を風土として定着させる工夫

そして、感謝は管理職だけがするべきものではなく、組織のメンバー全員が感謝を交し合える風土を作ることが望ましいといえます。ダイバーシティ推進の文脈で先ほど紹介した二つの研究でも、上司以上に「メンバー同士が感謝を交し合っているか」が重要なことを示唆する結果が得られています。では、こうした風土づくりのために、管理職に何ができるのでしょうか。

初めに取り組むべきは(1)助け合いの機会を設けることだと考えています。いきなり「感謝をしよう」と号令をかけても、そもそも感謝を伝えるきっかけが無ければ機能しません。例えば二人以上で協力して何かの仕事に一緒に取り組む機会を設けたり、業務に対するフィードバックやノウハウを積極的に共有する機会を設けたりするなど、感謝のきっかけになる交流を作ることが必要です。

また、(2)感謝が仕事で大事といえる理由を共有することも重要です。単に「感謝は大事だ」と伝えるだけでは、当たり前に思えて聞き流されてしまうか、感情的だと思われがちです。感謝やメンバー同士が互いを認め合うことが、なぜ自分の組織に必要なのかを明確に伝えることで、メンバーの納得も得られます。例えば、ユニアデックス(株)は心理的安全性向上や、パーパス浸透のための手段として感謝を位置づけており、説得方法の好例と考えています。

そして(3)感謝を気軽に伝えられるツールも有効です。言葉で伝えることが苦手な人もいるため、気軽にできるように工夫している企業もあります。例えば、先ほど紹介した「PRAISE CARD」のようなアプリを使うほかに、「感謝のメッセージを書いたカードを渡す」「付箋をポスターに貼る」といった方法を取る会社もあります。後者の例として、スターバックス・コーヒー・ジャパン(株)では従業員同士が互いに感謝や称賛を伝えるカードを運用しており、参考にできることも多いでしょう。

感情や共感を大事にできる
組織づくりへ

複雑さが増す組織だからこそ、感謝は単なる「マナー」や「コミュニケーション」を超えて、ビジネスやマネジメントのスキルとして活用できるといえます。職場の問題の多くは、人が感情に左右され、必ずしも合理的な指示・命令だけでは動かないことが原因の一つです。だからこそ、感謝のような感情への働きかけが、組織をつなげ、動かすための潤滑油になりえます。

そして感謝を習慣化することは、「感情や共感が大事にされる組織」を作ることにつながると考えています。従業員の個性を押し殺すことなく、一方で組織としての一体感や仲間意識も損なわずに組織を運営するためには、メンバー同士の共感や互いへの思いやりが重要になります。離職や人手不足、エンゲージメント向上も課題になる昨今ですが、まずは管理職から感謝を習慣的に取り入れるようにすることが、組織風土醸成にも役立つのではないでしょうか。