日常やビジネスの現場でも役立つ 科学的思考を身につける
情報が氾濫する現代社会。社会が複雑多様化したことで、信頼性の高い情報の判断がより難しくなっている。2025年2月『科学的思考入門』を上梓した東京大学准教授の植原亮氏に、科学的思考を身につける意義、人間の認知や思考の弱点、ビジネス現場での活用などについて話を聞いた。
人間の認知や思考の弱点を突く
高度に発達した情報化社会への対処
 
植原 亮
東京大学 大学院情報学環・学際情報学府 准教授
1978年、埼玉県生まれ。博士(学術)(東京大学)。主な研究分野は分析哲学、科学哲学。自然主義の観点から哲学・応用倫理学上のさまざまな問題を考察している。関西大学総合情報学部准教授などを経て、2025年4月より現職。主な著書に『科学的思考入門』(講談社)、『思考力改善ドリル: 批判的思考から科学的思考へ』(勁草書房)など。
── 今年2月『科学的思考入門』を上梓されました。科学的思考を身につける意義をお聞かせください。
科学とは、信頼性の高い方法で、質の高い情報を生み出そうと試みる営みです。「科学的思考」とは、科学を取り入れた思考をしていくことだと大枠では特徴づけています。
高度に発達した情報化社会では、人間の認知の弱点、思考の弱点を突く様々な情報が氾濫しています。これが現代社会の特徴の一つです。
一方で、自分が情報を発信することも容易になりました。気をつけないと、危険な情報を自ら発信してしまうかもしれない。そうした時に、本当に信頼できるところから出た情報なのか等々、チェックできる能力を身につけておくことが望ましいわけです。つまり、有害な情報から身を守りやすくなり、自分が情報発信する際の「品質保証」ができるようになる。これが科学的思考を現代社会で身につける大きな意義です。
── 認知・思考の弱点は具体的にどういったものがあるのでしょうか。
特に「A→B」といった原因と結果の関係にある因果関係に関して、私たちはよく誤認しがちです。例えば、「きのこ」を食べた後にお腹を壊した場合、きのこが原因だとたいてい考えますよね。人が日常生活をしている際、AのあとにBが起こるという場面に遭遇したら、それはAが原因だろうと普通思うわけです。だいたい、それ(因果推論)は間違えてないことも実際多いでしょう。
しかし、先の例でいえば、実際の原因は「大量の飲酒」かもしれません。こうした時に、反事実的な問いかけ「きのこを食べなかったら本当にお腹を壊すことはなかったのか」を考えると「そういえば、昨日お酒を飲み過ぎていたな」と思いつく。こうした思考パターンが身につくと、科学的ではない方向に思考が向いてしまうリスクを減らせます。
また、人間は因果関係と相関関係との区別が特に苦手です。相関関係とは大まかにいえば、「Aの側も変化したら、Bの側も変化する」ことで、相関は因果を意味しません。
オランダの有名な例ですが「A:コウノトリの生息数の減少」と「B:赤ちゃんの出生数の減少」には相関関係があります。しかし当然、コウノトリの減少で赤ちゃんが減少する、因果関係があるわけではありません。実際には「都市化の進行」という共通の原因Cがあり、それがAとBを引き起こしていました。
これは直観としても区別できる例ですが、区別が難しい場合も多々あります。実際にあった例として、ある治療法がある病気に効果的だと一見思えたというケースを紹介しましょう。その治療法を行った病院と行わなかった病院とで、患者の生存率に大きな差がありました。しかし実際には、その治療が生存率を上げた原因ではありませんでした。この治療法を受けられる患者は富裕層だったのです。富裕層が受けられる病院の治療は栄養に富む食事があり、水も綺麗で衛生的だった。それが生存率に影響をした。これは19世紀ロンドンでコレラが流行した際に、ホメオパシーによる治療を行った際に起きた歴史上の出来事です。
私たちの自然な認知は普通AとBがあったら、それを因果関係で捉えてしまいますが、私たちを取り巻く出来事は、そう単純なパターンだけではありません。コウノトリは冗談のような話ですが、ホメオパシーの事例のように、背後にどんな原因があるかまで考えて検証することは、相当トレーニングしないと難しいでしょう。
認知バイアスを自覚して
因果関係の誤解を防ぐ
── 著書では「心理は真理を保証しない」を重要なメッセージの一つに挙げています。
私たちには様々な認知バイアス、思考のクセがあり、これが因果推論を歪める原因になっています。代表的な例として「基礎比率の無視」という認知バイアスがあります。
これはもともとの割合、基礎比率を考えれば、当然にすぎないことでも、それに気づかない傾向のことです。米国で実際に起きた事例を紹介します。21世紀から米国の退役軍人が以前よりも高い割合で自殺したことが明らかとなった。これはイラク戦争などの経験が原因なのではないか。これがメディアで大きく報道されたことがありました。しかし、実際には退役軍人に限らず、米国全体で以前よりも自殺の割合が高くなっていたのです。基礎比率を考えれば、退役軍人の自殺率の上昇に特別な因果的な説明が必要になるわけではありませんでした。実は一般的な傾向にもかかわらず、特殊な因果関係がそこにあるのではないかと思ってしまう。これは人間の認知の弱点を突いてくるわかりやすい事例かなと思います。
科学的思考を「ふだん使い」できる
実用性を身につける
── ビジネスで科学的思考はどう役立つのでしょうか。
まず、勘と経験だけに頼らず、ある程度、理論的な判断がビジネスの場でも下せるようになると思います。また、科学は集団的制度的な営みで情報の信頼性を確保しています。
組織やチームとして、科学的思考を行うには、例えば、意図的に反対的な意見を出す役割「デビルズ・アドボケイト(悪魔の代弁者)」を配置することで、科学的ではない判断をはじく役割を担ってくれることも期待できます。
また、科学とは説明するものでもあります。ビジネスの現場でも自分の主張に説得力を持たせることは大事ですよね。書籍の後半では科学的に説明するための典型的な「モデル」を紹介しています。例えば、日常でも目にする山手線の路線図は、重要な特徴をうまく取り出して際立たせたモデルと言えます。この他、メカニズムの説明の仕方など、いくつかの方法を組み合わせることで、より説得力ある説明が可能になります。
── 来年2月「セルフコントロール」をテーマに著書を上梓される予定と聞いています。
私は人間の非合理性に関心があって、今年の著書は「思考」の非合理性を扱いました。来年の著書は「行動」の非合理性がテーマです。「仕事の〆切が近いのに先延ばしにしてしまう」、「体によくない物を食べ続けてしまう」など、科学的思考と同様に、非合理な行動をどうしたら改めることができるのか。認知科学や認知心理学、行動経済学、哲学などの知見をベースに、ベターな意思決定をするためのエッセンスを紹介する予定です。
── 最後にメッセージを。
科学的思考は日常の思考と地続きです。きちんと学んで身につければ、科学的思考を「ふだん使い」できる実用性をもたせることができます。社会に広く行きわたれば、有害な情報への免疫にもなります。これは「思考の公衆衛生」ともいえる発想ですね。まずは、新たな情報に接した際、判断を保留してみてください。人間がもつ思考の弱点を知っていれば、そこから「直観的な判断は危険だな」と、科学的思考の方向に少しずつシフトしていけるはずです。