キリンHD・磯崎会長が語る 広報は経営者の右腕 大変だがやりがいのある仕事
キリンホールディングスの磯崎功典会長は、広報部門での経験を経て経営のトップに立った。「広報は唯一の社内野党である」「社会の常識を会社の中に届ける役割」——日本経済新聞『私の履歴書』でも印象的だった言葉の背景には、どのような体験と哲学があるのか。広報部門出身者ならではの経営観や広報の真髄について話を聞いた。
メディア対応で得た知見
「広報は社内野党」の意図
磯崎 功典
キリンホールディングス株式会社 代表取締役会長CEO
1953年 神奈川県出身。1977年キリンビール株式会社入社後、1991年同社事業開発部(ロサンゼルス駐在)、2001年同社広報部担当部長などを経て、2007年キリンホールディングス株式会社経営企画部長。2010年同社常務取締役、2015年同社代表取締役社長を経て、2024年3月より同社代表取締役会長CEO 最高経営責任者を務める。

── 磯崎会長は広報担当部長を務められていましたが、当時のエピソードは日経新聞『私の履歴書』でも語られています。中でも「広報は唯一の社内野党である」という表現が非常に印象的でした。
私が広報部に着任したのは2001年です。その年は長年シェアトップを維持してきたキリンビールが、アサヒビールの猛追を受け逆転を許した時でした。そのころ本格的にメディアの方々と接する機会を得たのですが、彼らの世の中の動きや人々の声をつかむ力には驚かされました。
特に取材力がすごい。当時ビールのシェアは、各社が発表する「課税移出数量」に基づいていたのですが、メディアの記者は競合メーカーはもちろん、ビールの販売先である卸や小売店に情報収集を重ねることで、シェアの動向を分析し推計していました。そういう方々が「キリンがいよいよ負けるぞ」と書き立てる。一方で、社内の事業部からは「なんとかしてメディアに不利な情報を出させるな」と言われる。
でも私は「メディアはもう全部分かっています。もしかしたら我々以上に情報をつかんでいます」と答えていました。だからこそ、表面的な数字を作ったりするのではなく、現実にきちんと向き合って等身大の自分たちの姿を発信するべきだと。事業部の方たちからは「社内とメディアと、どっちを向いて仕事をしているんだ」と言われ反発されたこともありました。これが『野党』という表現を使った背景です。
── 同記事では「(広報とは)社外の常識を会社の中に届ける仕事」という一節もありました。広報は一般的には「伝える」仕事というイメージを持たれそうですが、むしろ「情報を吸い取って会社に届ける」役割なのですね。
広報とはメディアとやり取りをし、世間の声を理解するいわば「広聴機能」が重要な役割です。広報時代に社内の反発にあったと述べましたが、部門は違えども私たちは会社のために働いていることに違いはありません。私が社内に嘘をついたり、上司に忖度したりすることは簡単です。しかしそんなことをやっていては目先はよくても、長期的に考えればマイナスにしかなりません。会社のためには良い情報も悪い情報も収集し、社内にフィードバックすることが重要です。
自分たちではうまくいっているつもりでも、世の中がそう捉えてくれないことは珍しくありません。こちらがいいことを言っても、メディアの人たちは必ず裏を取って判断します。奇をてらったり背伸びをしたり、大きく自分を見せようとしても、やがて必ず馬脚を表すことになる。一方で、その逆も然りです。自分たちでは大したことではないと思っていても、世の中で評価されることもあります。
広報は「伝える」仕事もありますが、割合でいうと「聞く」仕事のほうが6割、もしかしたらそれ以上かも知れません。
── 人間関係の軋轢などに物おじせず、組織内で自分の役割を貫けるのは簡単なことではありません。なぜそうできたのでしょうか。
私はどんな時でも、経営課題を前にしたら立場や階層の上下はないと思っています。これはかつて、ロサンゼルスでのホテル建設に反対した経験から学びました。
ホテル事業の経験で培われた哲学
「経営課題の前に階層なし」
広報部門に所属するずっと前のことです。当時アメリカの大学に留学した後、全日空グループと協業で進めていた新規ホテルの開発事業を担当することになりました。現地の事務所がホテル建設予定地の近くにあったので定点観察をしていたのですが、その結果「これは採算をとるのは絶対に無理だ」と判断したのです。理由としてはいくつかありましたが、マクロ的な観点では冷戦終結によって軍需産業が影響を受け、企業が集中するカリフォルニアの景気が悪化していたことがあります。しかし会社はすでにプロジェクトを取締役会で決定しメディアにも発表していました。
── 大きなプロジェクトを中止するには“もう遅い”タイミングといえますね。
まわりからは「会社から言われた通りに進めればいい。失敗してもお前の責任じゃない」と言われましたが、それは性格的にできませんでした。キリン社内でホテルのことを一番知っている人間が、このまま進めばダメになることを分かっていて見て見ぬふりをするなんて、決してできない。担当役員には中止を進言し続け、その役員が全日空側に中止を申し入れしに伺うと、先方も「実はその言葉を待っていました」と言ってくれたのです。プロジェクトは中止となり、結果として大きな損失を回避できました。
この時に気付いたのが、先に述べた「経営課題の前に階層なし」です。ベテラン社員であろうと新入社員であろうと関係ない。私は当時まだ管理職でもない立場でしたが、使命感を持って進言しました。
── その哲学が冒頭の広報部門の経験で活かされたわけですね。翻って、現在の企業経営の立場からみて、広報部門はどのような存在ですか。
経営者の右腕という位置付けといえるでしょう。現在でも広報部門の従業員たちとは正式な会議も雑談も含めて近い距離でコミュニケーションしています。世間がどう見ているのか、決算発表にしても新製品のお披露目にしても、メディアの反応は非常に気になるものです。IR(投資家向け広報)と両面で外部の声を聴くようにしています。
経営者は本当の話が聞きたいんです。あらゆる情報を統合して大きな決断を下さなければいけないですから。社内から良い声だけを拾っても、本当に世の中はそう思っているのかわからない。お客様の声や業界内の方にヒアリングするにしても、キリンがやるのとメディアがやるのとでは聞き出せる内容が違います。そういった意味で、広報の役割は経営においてとても重要ですね。

広報ならではの働きがい
責任と面白さは表裏一体
── 時代の変化とともに、広報機能に求められるものも変わってきていると思います。これからの広報担当者にはどのような素養が必要でしょうか。
グローバルの視点を持つことが不可欠です。これまでは日本だけに閉じこもっていた情報が、今はデジタル技術の進化により一気に海外まで広がります。今年の5月にアメリカ、カナダを訪問したのですが、現地の投資家たちが『私の履歴書』の翻訳を読んでくれていました。子供の頃の話から若手時代の話まで詳しく知っていたので驚きました。情報が一気に広まる時代です。
それに加えてデジタル化、AIへの対応も重要です。AIは検索機能もさることながら、仕事の生産性向上に非常に役立ちます。過去の顧客の声やメディアの声を全部ソートして分類し、パターンを見つけるなど、こういう技術は広報との相性がいい。それ相応の技術力と発想を持つ人が望ましいです。
── ビジネスや技術トレンドへの感度を高く持つことが重要ですね。
かつてのように「メディアと親しくしていればいい」ということではなく、メディアやお客様もAIやデジタルを活用していますから、「レベルが低いな」と思われたら対等な関係でお付き合いしてもらえなくなります。
── 近年は企業の危機管理広報も注目されるようになりました。
危機対応はトップとの密接なコミュニケーションが重要です。かつて緊急時などの対応では、夜中にメディアから「キリンの社長のコメントをください」と電話がかかってきても社長は対応ができないから、「社長だったらこう考えるだろう」というコメントを出していました。そして翌朝、社長に報告すると「俺と同じ考えだ」となる。そのレベルまでトップの考え方を理解することが大事です。ある意味では大変な役割だと思います。しかしそれだけに面白い仕事ですよ。
── 大変だけど面白い、と。その真意はどういったところに?
「もし自分が社長の立場だったらどうするか、専務の立場だったらどうするか」と考えることができるのが面白いのです。そう考えるには頭を使わなければならないし簡単ではありません。しかし経営の視座を持つための良い訓練になります。それにその意識を持つと働き甲斐も出てくるでしょう。
トップに近いところにいれば、だんだん分かってくるものです。日頃からのコミュニケーションがとにかく重要。1年ぶりに会って深い話をするなんて絶対無理ですよね。
── そういう意味では、トップのほうにも自ら従業員とコミュニケーションをとる姿勢が求められますね。
その通りです。トップが自ら良い話も悪い話も聞きたがる環境をつくらなければダメ。「悪い話は聞きたくない」という空気を作ってしまうと、まわりはみんなサラリーマンですから言わなくなって、いい話だけしか上がってこなくなり「裸の王様」になってしまいます。忖度は組織にあるものですが、過度にそれをやったために傷口が大きくなった例は数多あります。
一方でトップも全員と毎日話せるわけではないので、チームとしてはキーパーソンが中心になってほかのメンバーへ落とし込んでいくのが望ましいですね。
これからの事業展望と
対外活動の“3つの指針”
── キリングループは食品、医療、ヘルスサイエンスなど多様な事業を国内外で展開されています。
当社は創業以来の強みである発酵・バイオテクノロジーを基盤に、CSV(共通価値の創造)、つまり社会の課題を解決しながら経済的に成長していく企業であることを未来像として掲げています。
── いずれも親和性が高い領域ですが、顧客も商習慣も異なります。広報において変わらない軸はありますか。
当社の広告・宣伝の領域において、指針としている3つの言葉があります。それは「嘘をつかない」「他者を誹謗しない」「下品にならない」――これらは広報活動においても同じです。特に「嘘をつかない」は絶対で、基本的には等身大の姿をお伝えし、何をやりたいかというビジョンを語り実績をつくっていくことが大事です。私たちは基本的にはBtoC企業ですから、お客様あってのもの。会社のイメージがとても大事です。
── ありがとうございます。本日は広報のテーマにとどまらないお話の数々を聞かせていただきました。

最近も社外の講演で話しましたが、「逃げない、恐れない、ごまかさない」、若い人たちにはこれらを会社人生で大切にしていただきたいですね。組織に所属する以上は人事的な処置や人間関係も気になるでしょう。でもそれを恐れて正しいことができないのがもっともよくない。経営課題の改善を進言してもクビにはならないし、命もとられません。大いに頑張っていただきたいです。