多数の町民学者や明治の偉人を生んだ塾から見る、近世大阪の教育事情

大阪は豊臣秀吉の大阪城築城を契機に、中世から近世にかけて商業都市として発展した。都市の発展とともに、町民の間で教育に対する要望も高まり、多くの塾や寺子屋が生まれた。ここでは近世大阪の学問の発展を、大阪で生まれた3つの代表的な塾を中心に見ていく。

大阪城築城が学問発展の契機

豊臣秀吉像

豊臣秀吉像

中世においては学問や芸術の中心地は京都や奈良であり、現在の大阪府にあたる地域はやや圏外だった。この地域に学問が浸透してくるのは室町時代初期の14世紀半ば以降で、明との貿易で栄えていた都市・堺が中心だった。しかし、当時はまだ京都から移り住んだ連歌師などから京都の伝統的な学問が伝えられていただけで、大阪独自の学問的特徴は際立ってはいなかった。

大阪の学問が独自の発展を遂げるきっかけになったのは、天下を統一した豊臣秀吉の大阪城築城だ…

(※全文:2028文字 画像:あり)

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