近世~近代の石川県教育史 加賀百万石を支えた藩校と庶民教育
日本海航路の中央に位置する加賀国と能登国は、海運の要衝として大いに栄えた。教育面においては、開かれた教育理念を掲げ、文武二本立ての藩校が開設されたほか、各地で庶民のための郷校が数多く設立された。加賀藩における藩校教育と庶民教育の一端を振り返る。
文武二本立ての加賀藩校
進歩的な明倫堂と洋式の経武館
出典:下村観山筆『-加賀文化の華- 前田綱紀展』前田育徳会所蔵, パブリック・ドメイン, wikimediaによる
加賀藩の歴代藩主はいずれも学問を好み、優れた学者を招いて自ら学ぶとともに、藩士たちにも学問を奨励した。なかでも5代藩主の前田綱紀(つなのり)は、「加賀は天下の書府」と礼賛されたほどの図書の収集や学問の振興、さまざまな工芸の保護育成に尽力した名君として知られる。その数十万点に上る書物の累積は、綱紀の死後、治脩(はるなが)が11代藩主を務めていた1792(寛政4)年の藩校明倫堂の開校につながった。
明倫堂は「士農工商の四民を教え導き、武士も庶民もともに学ぶ」という目標を掲げていた。当時は多くの藩校が、家中の武士を教育し、藩にとって有用な人材の養成を目指していたなか、…
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