国内外の教育機関・企業と連携し、阿波和紙の伝統を未来につなぐ

古くから伝わる阿波和紙の伝統を伝える阿波和紙伝統産業会館は、国内外のアーティストや学校・企業と共創する場でもある。自身も紙漉き職人として、その中心的な役割を担ってきた藤森洋一理事長に、阿波和紙の魅力と可能性について聞いた。

吉野川沿いに生まれた紙漉きが、世界の注目を浴びるアートに

藤森 洋一

藤森 洋一

一般財団法人阿波和紙伝統産業会館 理事長
近畿大学商学部卒業後、富士製紙企業組合に入社し、現在代表理事。1992年より阿波手漉和紙商工業協同組合専務理事、2011年より代表理事を務める。阿波和紙伝統産業会館における全ての運営に携わり、1998年に理事長就任。伝統的工芸品産業の振興への貢献により2006年、経済産業省より表彰、2007年には第2回ものづくり日本大賞において、四国経済産業局長賞受賞。

阿波和紙の起源は今から1300年ほど前に遡る。当時、朝廷に仕えていた忌部(いんべ)族が現在の徳島県吉野川市に入国し、麻や楮を植えて紙や布の製造を始めたと言われている。江戸時代には、藍を使った藍染和紙が全国を席巻。明治から大正期の全盛期には、吉野川流域で500戸、山川町周辺で200戸の紙製造業者が軒を連ね、その多くは農家の冬の副業として製紙業を営んでいた。

第二次世界大戦後は洋紙に押され、そうした人々の大半が転業や廃業を余儀なくされた。だが、古くからの阿波和紙の伝統を次世代に継承しようと、地道な努力を重ねる人々もいた。その動きを一層加速しようと1989年、山川町に設立されたのが…

(※全文:2060文字 画像:あり)

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