近世~近代の福井県教育史 橋本左内による明道館の実学教育

古代には「越の路の口」と呼ばれた福井県域には、当時の先進文化圏である近畿地方に近いうえ、海上の道でも日本海航路の中心に位置するという地の利があった。ヒト・モノ・情報の交流が活発な若越地方における教育の一端を、福井藩の藩校明道館を中心に振り返る。

医学研究の盛んな福井藩で、儒学を重んじた藩校明道館

江戸時代中期以降、越前・若狭両国では各藩が競って藩校を設立した。1774(安永3)年、小浜藩順造館の開校を皮切りとして、1804(文化元)年に丸岡藩平章館、1814(文化11)年に鯖江藩の進徳館、1841(天保12)年に勝山藩成器堂、1843(天保14)年に大野藩明倫館が相次いで開設された。

いずれも儒学を基本としていたが、福井藩では1805(文化2)年、最初の藩校として医学校の済世(さいせい)館が設立された。福井藩は元来医学研究の盛んなところで...

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