近世~近代の富山県教育史 文武両道を重んじた藩校、商いに活きた実学

歴代富山藩主をはじめとする学問尊重の気風のもと、全国的にも名だたる学者を輩出した越中の教育。また、変化に富んだ自然の恵みを活かした漁業などの一次産業に加え、古くから「富山の薬売り」に代表される商業も盛んな地域では、寺子屋などの民衆教育も大いに栄えた。

宗藩より先んじた富山藩校広徳館
出版を通して藩内教育に貢献

富山藩の藩校「広徳(こうとく)館」は1773(安永2)年、第6代藩主前田利與(としとも)の強い意志によって設立された。藩の財政が逼迫するなか、時期尚早だと反対する声もあったが、利與は「士風の低下堕落を救う方法は、学問文教よりほかにない」と主張したといわれる。宗藩加賀藩も学問に熱心だったが、その藩校明倫堂が創設されるより20年も早い設立だった。

広徳館は富山城内の一角に設けられ、学頭として江戸昌平黌の三浦平三郎を招いた。入学前にまず四書五経の素読を教えられ、それを終了した者が初めて入学を許された。素読を終え、講義で教師の指導のもとに理解を深め、会読や輪講などの共同学習に進んだ。また、こうした漢学中心の…

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