個人と社会が直結した現代こそ可能な、一介の市民による社会構想

社会構想大の3つ目となる新研究科、社会構想研究科。現状を学術的に把握した上で、社会のあるべき姿を描き、政策やソーシャルビジネスを通じてそれを実現できる人材を育成する。だがそもそも社会構想とは何なのか?社会構想研究科ではそれをどう教えるのか?所属教員が全12回のリレー形式で解説する。

一介の市民が社会を
構想することの意義

大谷 晃

大谷 晃

社会構想大学院大学 実務教育研究科 助教
専門分野:地域社会学、都市社会学
担当科目:現代社会論、社会政策論
中央大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了。東京都立川市の都営団地自治会を中心に、地域社会に長期的に関わる参与的行為調査を行う。専門は地域社会学、都市社会学、コミュニティ論、町内会・自治会研究、質的調査論。

現代において、とりわけ権力者やエリートではない、「ふつうの人」が社会を構想することは、いかなる営みとなりうるのだろうか。

本稿では、各自の実務経験や日常経験から問いを発し、学問として構想するというプロセスを、筆者が取り組んできたフィールドワークという方法の特質と、2人の社会学者の現代社会論をヒントに考えてみたい。

日常生活の細部によりよい社会の
手がかりを見出すフィールドワーク

「フィールドワーク」(field work)という言葉は、「野良仕事」とも訳されるが、もっとも広義に捉えると、現地に実際に赴いて行われる調査全般を指すと言える。ここでは、現代社会を考える方法としてのフィールドワークに焦点を当てて、その特質を考えてみよう。

問題発見・問題提起の学であるというのが、その第1の特質だ。『失われた日本人』(1960年)で知られる民俗学者の宮本常一(1907-1981年)や、考古学に対して現在の人々の動きを捉えるために「考現学」(Modernologio)を打ち出した今和次郎(1888-1973年)は、「歩く学問」の優れた先達であった。

なぜ、彼らは歩き、観察したのか。2人に共通するのは、社会の主流から見落とされ、見過ごされ、些末と思われている人や物事をすくい上げたことである。つまり彼らは、別様の社会を描くことで、現代社会に問いを投げかけることを試みたのである。

第2の特質は、フィールドワークでは、中立な第3者として調査をすることはできない、すなわち何らかの形で当事者として学問をせざるを得ないという点だ。

筆者自身、12年通っていた団地自治会の研究において、自治会役員の方から「何か勉強(研究)になっているのか?」と繰り返し問われた経験がある。「問う者」は「問われる者」でもあり、社会を対象とする調査者は自身もまた当該社会の一員であるという問題を避けて通れないのだ。

フィールドワークを用いれば、日常生活の見落としがちな細部から、よりよい社会を築くための手がかりを得ることができる。

フィールドワークを用いれば、日常生活の見落としがちな細部から、よりよい社会を築くための手がかりを得ることができる。

Photo by Adobe Stock / Shining Pro

フィールドワークは、半ば当事者として、自己をも含むある社会を記述し、問題を発見・提起することで、別様の社会を構想していく試みである。ゆえに、当事者としての実務上や日常での些細な気づきも、調査研究の出発点、プロセスとして有効になりうるのである。

ミクロとマクロが通底した時代の、
日常からの社会構想

では現代社会において、われわれが当事者としての側面も抱えつつ、日常から社会を構想するという営みには、いかなる意義があるのだろうか。

アメリカの社会学者C・ライト・ミルズ C. Wright Mills(1916-1962年)と、イタリアの社会学者アルベルト・メルッチ Alberto Melucci(1943-2001年)の議論を参照しつつ、考えてみよう。

ミルズは、かつて「社会学的想像力」(sociological imagination)という概念を提唱した。社会学的想像力とは、「一方で、世界でいま何が起こっているのかを、他方で、彼ら自身のなかで何が起こりうるのかを、わかりやすく概観できるように情報を使いこなし、判断力を磨く手助けをしてくれるような思考力」(Mills 1959=2017:19)と定義される。

われわれは、日常で何らかの気づきを得ても、時に個人的な、取るに足らない問題として切り捨ててしまうことがある。ミルズは、公民権運動の真っ只中にあったアメリカ社会において、個人的・個別的な問題(trouble)を公的問題(issue)としていく社会学を構想しようとしていた。

同様にメルッチは、地球レベルでの物理的限界と、われわれの私的行為や身体内部で起きる変化が分かちがたく結びつく現代社会を、「惑星社会」(the planetary society)と捉えている。メルッチは、創造性について次のように述べる。

「こんにち必要なのは、問題のなかに予め答えが含まれているような問題解決だけではなく、新たな問いを立てることに私たちの創造的な力を向けることであるということが、ますます明らかになってきている。[…]創造力とは、それがいかに定義されようとも、驚嘆するという私たちの能力にかかっているのだ」(Melucci 1996=2008:196)。

われわれは日々を生きる中で、実務上の課題、日常生活を送る中での気づき、公的問題への関心、さまざまなことを知覚するが、その大半は時間の流れに飲まれ、消えていく。

しかし、消えていった無数の些末な物事の数々は、現代社会を考えるヒントになりうる。社会学はそのような試みの「公分母」(Mills 1959=2017:34)であり、われわれが日常の中で気づき、驚き、思考するという営みは「創造力」を持つものになるはずだ。

参考文献

  • Mills, Charles, Wright, 1959, The Sociological Imagination, Oxford University Press.(=2017,伊奈正人・中村好孝訳『社会学的想像力』筑摩書房.)
  • Melucci, Alberto, 1996, The Playing Self: Person and Meaning in the Planetary Society, New York: Cambridge University Press.(=2008,新原道信・長谷川啓介・鈴木鉄忠訳『プレイング・セルフ――惑星社会における人間と意味』ハーベスト社.)
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