社会課題解決に必要な他者との協働を可能にする公共哲学
社会構想大の3つ目となる新研究科、社会構想研究科。現状を学術的に把握した上で、社会のあるべき姿を描き、政策やソーシャルビジネスを通じてそれを実現できる人材を育成する。だがそもそも社会構想とは何なのか?社会構想研究科ではそれをどう教えるのか?所属教員が全12回のリレー形式で解説する。
社会課題が複雑化し、他者との
協働なしには解決できない時代

下平 拓哉
社会構想大学院大学 社会構想研究科 教授
専門分野:政治学、安全保障論
担当科目:グランドデザイン構想実践、現代政治入門、公共哲学等
防衛大学校卒業、米国防総省APCSSエグゼクティブコース修了。元海将補、政治学博士。日本危機管理学会常任理事、東海大学平和戦略国際研究所客員教授、江戸川大学非常勤講師、国士舘大学政治研究所特別研究員、日本戦略研究フォーラム上席研究員。
国内問題であれ国際問題であれ、今、世界が直面する課題は複雑さ、不透明さの度合いを増している。ロシアのウクライナ侵攻に伴う安全保障環境の変化や、新型コロナウイルスの変異株拡大、地球温暖化に伴う気候変動、そして政治とカネの問題などは、解決の糸口さえ容易に見つけられない、対処することが極めて厄介な問題群(wicked problems)である。
これらはいずれも、我々の生存や生活に直結する問題であり、それゆえ我々は協働して対処していかねばならない。しかしながら今のところ、これらの問題に対する方針すら定まっていない。これは、我々の生の方向性そのものが定まっていないことに等しいとさえ言えるだろう。
そこで現在、物事の価値を根底から問い直すためのツールとして注目を集めているのが、「公共哲学」という学問である。
個人の自由と社会が両立するための
条件を探る試みとしての公共哲学
公共哲学は、読んで字のごとく「公共について哲学する」こと、すなわち、我々はどのような社会を目指すのか、我々の生の土台や前提となる基本的な物事の本質とは何であるのかを、さかのぼって議論することを可能にする。
我々の関心はどうしても「いま、ここ」に傾きがちである。しかしながら公共的なものとは、それを超えた広がりを持っている。それは、従来の公私二元論では捉えきれない広がり、時空間的な広がりである。
「公共について哲学する」ことは、我々が抱いている判断や確信から出発しながらも、批判的な距離をとって、それが本当に妥当なのかを問い直してみるという反省をも含んでいる。
公共哲学は、人々の間で自由な生き方が相互に可能になるような条件とはいかなるものであるのかを模索し続ける営みに他ならない。異なった人々が同じ社会、公共的な空間において、ともに生きるとはどういうことか。我々の社会をどのような理念とルールによって組み立てていけばよいのか。要するに、民主主義であれ市場であれ、いかに人々の協働を組み立てることができるのか。こうした問いに答えようとする試みといえる。
その協働のあり方がどのようなものであれ、公共哲学とは、理想と現実の統合を図りつつ、グローバルな問題群を論じ、新しいビジョンを追求するものであり、いかにして人々に受け入れられるのかを探求して行くものである。
21世紀の「コーヒー・ハウス」
としての社会構想研究科
ゴミの不法投棄、政治に無関心で選挙に行かない、学校や交通のルールを守らない――これらに共通するのは公共性の欠如であり、その背景には「公」と「私」という概念の揺らぎがある。
少子高齢化が進む昨今の深刻な状況下、国家の能力の限界が見え始めてきているのは明らかである。権力による押し付けの「公」と、自分のことしか考えない「私」といった最悪の二項対立から、いかに脱却を図るのか。このような問題意識のもと、「公」とも「私」とも異なる「公共性」という概念に新しい意義付けを行うこと、そして、そのような新しい公共性をデザインしていくこと――それこそが求められているのである。
18世紀、イギリスはロンドンのカフェ、いわゆる「コーヒー・ハウス」には、知識人たちが集い賑わっていた。そこでは、政治に関する議論や商取引、株取引などの経済活動、保険取引、情報交換、そしてジャーナリズムが育まれ、「公共性」の嚆矢と言われている。
詩人アレキサンダー・ポープ(1688-1744年)の「コーヒーは政治家を賢明にする」との言葉が示すように、コーヒー・ハウスに集った人々は、政治や経済、文化などについて熱い議論を繰り広げながら、イギリスの行く末を思案した。先行きの見通せない今だからこそ、まさに21世紀の新たな「コーヒー・ハウス」が求められているのである。
「哲学界のロックスター」とも称されるドイツの若手哲学者マルクス・ガブリエル(1980年- )は、「リジェネラティブ」(regenerative; 再生型)こそが未来のコンセプトになると語っている。事業をより活発化させ、成功させること、場所やシステムを改善すること、そして、人々をより幸福で前向きな気分にさせること。「リジェネラティブ」であるとはそのようなことである。
これまで西洋の多くの宗教や哲学に組み込まれてきた基本的な 信念である人間中心主義(anthropocentrism)の世界観も、見直しを迫られている。「公」とも「私」とも異なる「公共性」という新たな視座から、人間と自然の生態系との連携を深めながら、すべての生物により良い状態を目指すデザイン、「リジェネラティブ・デザイン」を念頭に、新たな社会や組織のグランドデザインを描き、社会のあるべき姿を構想し、実現していく――そのような人々で溢れた21世紀の新たな「コーヒー・ハウス」を作り出し、活気づかせていくことが、我々の使命である。