近世~近代の沖縄県教育史

本土の各地とは大きく異なる歴史を持つ沖縄県。近世以降は薩摩藩の植民地支配のもとにあったとはいえ、それ以前は400年を超える歴史を持つ王国であったことは、教育の普及にも大きな影響をもたらした。明倫堂に始まる学校教育の歴史と、近代の共通語教育の一端を振り返る。

那覇の明倫堂に始まる学校教育、最高学府「国学」の設立へ

明倫堂を設立した程順則。高名な儒者で名護聖人と敬われた。

明倫堂を設立した程順則。高名な儒者で名護聖人と敬われた。

出典:Wikipedia

琉球における学校教育は、那覇・久米村に1718(享保3)年、朱子学者・程順則(ていじゅんそく)によって設立された明倫堂に始まる。王府の首里(現・那覇市)や貿易港として栄えた那覇にも、まだ学校が設立されていないころ、中国系住民の集落であった久米村子弟の教育機関として生まれた。

土佐藩の儒学者・戸部良熈(よしひろ)が琉球の使者・潮平盛成(しおひらせいせい)らの口述をまとめた『大島筆記』によれば…

(※全文:2523文字 画像:あり)

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