近世の香川県教育史 藩校、寺子屋や私塾における学問の隆盛
全国で最も面積の狭い香川県。讃岐国一国からなり、江戸時代は高松藩、丸亀藩、多度津藩が栄えた。当時の教育は藩主の奨励が支えた藩校を中心として、庶民の間にも教育熱が高まっていった。高松藩と丸亀藩の藩校および特徴的な私塾の様子から、讃岐国における教育の一端を振り返る。
町人や農民も学んだ高松藩校
40代の藩士も通った丸亀藩校
出典:Wikipedia(不明 - 『丸亀京極家 名門大名の江戸時代』香川県立ミュージアム 丸亀市立資料館所蔵, パブリック・ドメイン, Wikipediaによる)
高松藩校・講道館の歴史は、2代藩主の松平頼常(よりつね)が1702(元禄15)年、城下の中野天満宮の南に講堂を建て、その傍らに儒臣の十河順安(そごうじゅんあん)と根本弥右衛門に屋敷を与え、儒学の教授に当たらせたことに始まる。藩の財政難から一時期は衰退したものの、4代藩主・頼桓(よりたけ)の時代に復興し、藩士や庶民に毎月数回の講義を行っていた。
その後1779(安永8)年、6代藩主・頼真(よりざね)の時代に、中野天満宮の北に大規模な学館を新設して講道館と名付けた。儒学の経典の講義が毎月6回あったほか、…
(※全文:2405文字 画像:あり)
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