近世の新潟県教育史 庶民に学問を広めた藩校、豊富な人材を輩出した私塾
越後国と佐渡国からなる新潟県。海運の要衝であると同時に、佐渡には金銀鉱山があったことから、幕府の奉行地として直接統治されていた。新発田藩における庶民教育普及の試みと、個性あふれる私塾による人材育成、さらに佐渡に花開いた伝統芸能の広まりを振り返る。
「社講制度」を領内一円に敷き、
庶民に学問を広めた藩校
越後国蒲原郡新発田(しばた)(現・新発田市)を中心に、下越地方の一部などを治めた新発田藩。その藩校は「道学堂」と呼ばれ、1772(明和9)年、8代藩主・溝口直養(なおやす)によって創設された。道学堂は武士ばかりでなく庶民にも広く開かれ、「身分や貧富による差別なく、誰もが学問をしなくてはならない」という直養の考えに基づき、成人に対する教化の意味合いが強い藩校だった。
道学堂の大きな特徴は「社講制度」である。庄屋、名主、百姓など、身分にかかわらず、学力のある庶民を「社講」と呼ばれる教師に任命し、社会的地位を与えることによって、…
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