鹿児島県の教育史 郷中教育の伝統、藩校・造士館で育まれた学びの礎
本州西南端に位置する鹿児島県。幕末の倒幕運動で大きな役割を果たした薩摩藩では、江戸時代から独自の教育が行われ、志高い人材育成に取り組んでいた。藩校造士館と郷中教育、さらに他藩を遥かにしのぐ天文学の発展から、近世から近代に至る鹿児島における教育の一端を振り返る。
庶民にも開かれた藩校造士館
鹿児島大学に至る学びの礎
出典:Wikipedia(Sakoppi - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, Wikipediaによる)
薩摩藩における藩校の歴史は、8代藩主の島津重豪(しげひで)の時代に遡る。文化教育の振興に熱心だった重豪は1773(安永2)年、文武両道を目指して聖堂と武芸稽古場を創設した。後に1786(天明6)年からは、聖堂は造士(ぞうし)館、武芸稽古場は演武館と呼ばれた。また、1774(安永3)年には医学院を、1779(安永8)年には明時館(天文館)を設け、医学、天文学や暦学を研究させるなど、教育施設の規模拡大を図った。
造士館で主に学んでいたのは8~22歳ごろの士族の子弟だったが、…
(※全文:2425文字 画像:あり)
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