近世~近代の神奈川県教育史 藩校と寺子屋の展開、横浜のヘボン塾

明治以前は相模国全域と武蔵国西部から成る神奈川県。幕末の横浜開港と明治維新を機に、近代には爆発的な発展を遂げた。小田原藩の藩校教育、川崎における庶民のための寺子屋、横浜に芽吹いた近代教育の萌芽を例に、近世から近代における神奈川の多様な教育の変遷を振り返る。

集成館から文武館へ
小田原藩における半世紀の教育

小田原藩の藩庁が置かれた小田原城。城跡は国の史跡に指定されている。

小田原藩の藩庁が置かれた小田原城。城跡は国の史跡に指定されている。

小田原藩では1822(文政5)年、7代藩主の大久保忠真(ただざね)によって藩校「集成館」が創設された。1707(宝永4)年の富士山噴火に端を発した藩の財政窮乏を脱するため、藩政改革が急務となっており、人材育成が欠かせないと考えられたためだ。

集成館の教育課程は、筆道、素読、講釈、会読から成り、教科書には「小学」、四書、五経などの経書や、中国や日本の歴史書、ほかには「唐宋八家文」などの文学書が使われた。素読科から講釈科に進むには試験に合格する必要があり、…

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