近世~近代の茨城県教育史 光圀に始まる水戸学の系譜

江戸と奥羽地方を結ぶ常総の地は、軍事上・交通上の要衝であり、なかでも水戸は陸上交通網の中核として栄えた。徳川御三家の1つに数えられる水戸藩には、全国最大規模の藩校があったほか、『大日本史』の編纂の拠点ともなっていた。他の諸藩を含め、寺子屋など庶民の教育も盛んだった。

『大日本史』を生んだ彰考館
2世紀半にも及ぶ編纂の拠点

中国古代の歴史書『史記』の「伯夷伝」に影響され、『大日本史』の編纂を開始した徳川光圀。

中国古代の歴史書『史記』の「伯夷伝」に影響され、『大日本史』の編纂を開始した徳川光圀。

出典:Wikipedia(不明 - 京都大学付属図書館所蔵品, パブリック・ドメイン, Wikipediaによる)

水戸黄門で知られる水戸藩第2代藩主の徳川光圀は1657(明暦3)年、30歳のときに江戸神田の水戸藩別邸に編纂局を設け、歴史書『大日本史』の編纂を開始した。当初はわずか4人の学者で始まった修史事業だったが、1672(寛文12)年に編纂局を小石川(現在の東京都文京区)の本邸に移すと、総勢24人の学者が編纂に携わるようになった。ようやく陣容が整い、編纂局の名称を「彰考館(しょうこうかん)」とした。この編纂を通じて、水戸学と呼ばれる学風・学問が形成されていった。

編纂員は藩士として、一般の武士と同様の役職を与えられ、…

(※全文:2531 文字 画像:あり)

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