近世~近代の高知県教育史 土佐の藩教育、庶民の教育を担った寺子屋

地域社会から学び、学校で学ぶ「社学一体」の精神が息づく土佐山を擁する土佐国。幕末維新の変革期には土佐藩が大きな役割を果たし、明治時代には「夜学会」などを通じた地域全体での社会教育を背景に自由民権運動が盛んになった。その源流となる近世の藩教育と庶民の学びを振り返る。

土佐南学の隆盛を背景に
文武両道を重んじた藩教育

土佐藩における藩校教授館を開いた8代藩主の山内豊敷

土佐藩における藩校教授館を開いた8代藩主の山内豊敷

出典:Wikipedia

土佐藩における藩校教育は、8代藩主の山内豊敷(とよのぶ)によって1761(宝暦11)年、教授館が開設されたことに始まる。その教育方針は、土佐藩の正式な学問である土佐南学に基づいて士風を正すことに置かれた。土佐南学とは、戦国時代末の南村梅軒(ばいけん)を祖とする朱子学の一派だ。文章や語句の解釈ばかりではなく、本心(良心)を失うことなく自分の持ち前(可能性)を発展させていくことが重んじられた。

自らも学問を好み、歌人としても知られた豊敷は1764(明和元)年、教授館における学習方針を示す…

(※全文:2511文字 画像:あり)

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