近世の兵庫県教育史 日本の近代化を担う人材を輩出

近畿地方第1位の広さを誇る兵庫県。江戸時代には畿内の摂津国、山陰道の丹波・但馬国、山陽道の播磨国、南海道の淡路国と、畿内・3道、5国におよび、各地で特色を生かした教育が行われていた。ここでは、赤穂藩の藩校、阿波の郷学、但馬国の私塾を例に、当時の教育の一端を振り返る。

5ヵ国17藩が各地で藩校を創設
赤穂藩では赤松父子が教育に尽力

江戸時代の兵庫県域は旧5ヵ国に及び、17もの藩が各地で藩校を創設し、藩士の教育にあたっていた。

例えば播磨国の赤穂藩には1777(安永6)年、藩校博文館が創設された。それ以前にも初代藩主・森長直が学問所を設けていたが、家中で経史を講じさせていた程度だった。藩校教育が充実したのは、学問好きだった5代藩主・森忠洪(ただひろ)の登用で1747(延享4)年、27歳の若さで藩儒となった赤松滄洲(そうしゅう)およびその子・蘭室(らんしつ)の尽力によるところが大きかった。

特に子弟教育に熱心だった蘭室は、…

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