近世の山梨県教育史 代官主導で庶民教育の拡大を図る

甲斐における教育は、江戸から赴任した勤番士を教育する甲府学問所に始まる。岩瀬忠震や中村正直など、近代化の礎を築いた開明派幕臣が教鞭をとった学問所は、現在の山梨大学まで連綿と続いている。

藩校の整備が遅れたものの、開明派幕臣による近代化教育

甲斐国は武田氏滅亡後、織田・豊臣・徳川と支配が移り、江戸幕府のもと、西部の国中に甲府藩、東部の郡内に谷村藩が成立した。

甲斐国の歴代藩主は江戸滞在が主で甲斐には在国せず、国元における藩校の整備は遅れた。そのため、甲斐在番の武士階層の教育は独学や私塾によるものが中心だった。享保の改革による徳川幕府財政強化のため、1724(享保9)年に甲府藩が幕府直轄領化されると甲府勤番支配が設置され、江戸から200人の勤番士が赴任した。

そうした甲府勤番士とその子弟の教育を目的として…

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