農民にも広がった文運隆盛から、近代教育を象徴する旧開智学校へ

信濃一国に分立する11の藩による藩学で新しい学問が発達、普及する一方、ときの俳人・小林一茶を輩出するなど、文化・芸術面でも盛り上がりを見せた江戸時代後期。近代教育の黎明期には、教育機関としてのみならず、学校建築としても非常に価値の高い旧開智学校が開校した。

農民師匠が支えた寺子屋

江戸時代、信州の寺子屋はその師匠数において全国一を数えた。亨保・元文期(1716~1741年)ごろから増え始めたが、全体の7~8割の寺子屋が開業したのは文化・文政期(1804~1830年)から幕末にかけてであった。庶民の学習意欲の高まりに答える形で村々に農民師匠が増え、その数の多さが信州の寺子屋の特徴と言える。

寺子屋はしばしば「村営の学習機関」として運営されていた。諏訪郡笹原新田(茅野市)で見られたように…

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