熱海の活性化を牽引し、チャレンジする人を増やす

バブル崩壊後、観光客が激減した熱海が奇跡的な復活を遂げた。その立役者の一人である市来広一郎氏は、生まれ故郷の熱海にUターンし、空き店舗を再生してカフェやゲストハウスを運営しながら、一貫して人づくりに注力してきた。その原動力やこれまでの手応え、今後のビジョンを聞いた。

対話からブレない軸を見出し
起業家のエコシステムを形成

市来 広一郎

市来 広一郎

株式会社 machimori 代表取締役
NPO法人 atamista 代表理事
1979年熱海生まれ。大学院で物理学を修了したのちビジネスコンサルティング会社に勤務。2007年熱海にUターン。地域資源を活用した体験交流ツアーによりまちのファンづくりに取り組む。2011年、株式会社machimoriを設立し、空き店舗を再生しゲストハウスを運営するなど、シャッター街だった熱海の中心市街地を再生している。著書に「熱海の奇跡~いかにして活気を取り戻したのか~」(東洋経済新報社)。

──街づくりに取り組む際、最も大事にしていることは何ですか。

大切なことは、いかに街のファンをつくり、そのファンをサポーターに、さらには街のプレイヤーになっていただくか。根本的に重要なのは人づくりだと考えています。熱海で生まれ育った私は1990年代、多感な10代の頃に、街がどんどん衰退していく様子を目の当たりにしました。大きな資本が撤退することで、ホテルや旅館、企業の保養所などが軒並み閉鎖され、一気に寂れていきました。そうした実体験もあり、継続的な街の発展には、地域に根付いた人が多様な事業を生み出すことが欠かせないと思うようになりました。

そこで2007年に熱海にUターンし、2010年に「100年後も豊かな暮らしができるまちをつくる」をミッションに掲げるNPO法人atamista(アタミスタ)を、その翌年には熱海の中心市街地再生に取り組む民間まちづくり会社machimoriを設立しました。「atamista」という団体名には「熱海を支え、創っていく人たち」、そして「熱海から社会を変える」という意味が込められています。熱海の課題に気づき、動き出す人を増やすこと。そしてNPO活動やビジネスを通じてチャレンジする人を増やし、そうした人たちのネットワークをつくる触媒となることを目指しています。

machimoriが主軸となり、2013年から開催している「海辺の熱海マルシェ」。熱海の名物イベントとして定着し、域外から集う人も多い。

machimoriが主軸となり、2013年から開催している「海辺の熱海マルシェ」。熱海の名物イベントとして定着し、域外から集う人も多い。

──人づくりのために、どのようなプロジェクトに取り組んできましたか。

最も力を入れてきた事業の1つが、2016年に始めた創業支援プログラム「99℃─Startup Program for Atami 2030」です。熱海市が主催し、atamistaが企画・運営を担っていました。「自分を知る」「相手を知る」「軸を見出す」「思いを伝える」という4つをテーマに、第一線で活躍する講師陣によるメンタリングや、フィールドワークなどで実践的に学ぶ4カ月のプログラムです。

特に初期段階で重視していたのは、何のために事業を起こしたいのか、自己理解を促すことです。それぞれの原体験を含め、内発的な動機といかに結びついているアイデアなのかを深掘りする。そこがブレてしまうと、必ず途中で苦しくなって事業が積み上がっていきません。

最初の1カ月ぐらいは、事業の軸を見出すための対話に多くの時間を費やしていました。ほとんどの方は、実はやりたいことは既に持っています。でも、周りから素朴な質問を投げかけられたりフィードバックを得たりするなかで、ようやく無意識で思っていたことが言語化でき、形になっていく人が多いですね。

また、参加者を個別に支援するだけでなく、同じステージにいる人たちの横のつながり、つまりコミュニティづくりも意識していました。それと同時に、先輩起業家や地元の経営者、金融機関などとの出会いの場づくりもしていました。事業を生み出そうとする人たちのエコシステムを形成するイメージです。

創業支援プログラム「99℃」からは多くのプレイヤーが生まれ、街の活性化に貢献してきた。

創業支援プログラム「99℃」からは多くのプレイヤーが生まれ、街の活性化に貢献してきた。

──参加者の実践例など、これまでの成果をお聞かせください。

「99℃」は3年間で一段落しましたが、参加した30組弱の約半数は何らかの創業を果たしたり、従来の事業を発展させたりしました。例えば、夫婦で「伊豆おはな」というケアタクシー事業を営んでいる方がいます。車椅子のまま乗車できる車両で、必要な介助もしながら熱海とその周辺の観光案内をするほか、日頃は主に地元に住む高齢者の介助つきでの日常の足としても利用されています。熱海は坂や階段が多いため、実は足腰の弱った高齢者には移動が大変な街なので、そうしたニーズがあったわけです。地域の課題を解決しつつ、事業性の部分でもうまくいっている事例です。

ほかにも「マチモリ不動産」という会社を立ち上げたメンバーがいます。出身は東京ですが、マンション管理会社に勤務していた経験もあり、熱海の住宅問題をなんとかしたいという思いで創業しました。熱海の不動産は二極化が進み、市街地の価格は高くて若い世代には手が出ない一方、駅から少し離れた地区には、安くてもボロボロのままになっている住宅も多い。

マチモリ不動産ではそうした物件のリノベーションなども担っています。私たちがやってきた事業との相乗効果も非常に高いため、machimoriやatamistaのグループ企業の形にして、私も経営に参画しています。

地域課題を素材に社員研修
複業人材として継続的な関わりも

──人材育成に関する直近の取り組みを紹介ください。

最近は「ゼロイチ」の段階より、既に事業を起こしていて、さらに何か新しいフェーズに向かっている人たちに向けたプログラムに注力しています。その1つが「GeNSEn(ゲンセン)」という企業向け社会共創事業です。社会課題が山積する熱海は、50年後の日本の姿とも言われます。そうした地域の課題を素材として、都市部の企業と地域の共創による価値創造を目指すのが「GeNSEn」です。

プログラム内容は参加企業のニーズに応じてさまざまですが、例えば3カ月ほどの長期実践型研修プログラムの場合、受講者がチームを組んで、空き家問題や郊外エリアの再生など、地域の社会課題解決に実践的に取り組む構成にしています。地元の事業者にもパートナーとして関わってもらい、プログラムの最後には、参加者から何らかの提案をしてもらうことにしています。参加企業の次世代リーダー育成をねらった取り組みですが、地元の事業者にも大きなプラスの影響があると感じています。

もう少しライトなものとしては、1泊2日または2泊3日の社会課題解決体感型フィールドスタディも提供しています。現場観察やインタビュー、ワークショップを通して、社会課題解決や事業創造を深く理解するプログラムです。

リピート参加くださる企業の方は、地域で暮らす人の生の声を聞けるところに価値を感じていただいているようです。街づくりとは関係ない業種の企業がほとんどですが、業務の上流工程を担うことの多い従業員の場合、エンドユーザーに自らインタビューする機会はほとんどありません。そのため、生活者の声を聞くこと自体を貴重な機会と捉えていただいています。

もちろん、価値を最大化できるよう、インタビュイーの人選やテーマ設定など、マッチングには知恵を絞っています。私たちの強みは、熱海における非常に幅広いネットワークを持っていることです。インタビューに応じてくれる方のリストは優に100名を超えますから、参加企業のニーズにピッタリの方にお願いできます。しかも、東京の大企業の人にインタビューされると、地域の方にとっても意外な気づきを得られることも多い。企業の社員研修でありながら、実は地域の人材育成になっているとも言えます。

GeNSEnはワーケーションや複業との親和性も高く、実際、この研修をきっかけに、複業人材として関わり続ける人もいます。先の不動産事業も含めれば、今は20名近くがmachimoriやatamistaの事業に週1~3日ぐらいのボリュームで貢献してくれています。もう3年以上も継続し、事業部長を務めている人もいます。

暮らしの魅力を伝え
観光コンテンツの一歩先へ

──街のファンやサポーターの獲得には、どのような工夫をしていますか。

2023年から「熱海おんぱく(熱海温故知新博覧会)」という事業に力を入れています。これまで発見してきた熱海の魅力を知り、“今”の面白さを考える「温故知新」をスローガンに掲げ、観光客も地元の人も楽しめるプログラムです。1~2月にも一度開催したのですが、この秋に再び、季節を変えて開催している真っ最中です。実は、2009年から2011年にかけて、「オンたま(温泉玉手箱)」という地域体験型コンテンツを展開していたのですが、熱海おんぱくは10年ぶりのリニューアル版という位置づけで、私たちとしては原点回帰という思いがあります。

「99℃」を3年実施して気づいた課題感は、起業家を育てると同時に、マーケットを生み出す必要があることです。起業家のコミュニティと同様、顧客側のコミュニティもないと、次のプレイヤーが育っていきません。そこで、熱海を楽しみたいという層を意識して厚くしようと考えています。

熱海おんぱく2023秋のテーマは「まちにもっと遊びを。」と掲げています。旅の中で出会うような発見を日常の中でも感じるような、熱海の”暮らし”の魅力を、おんぱくを通して伝えようというコンセプトで、カヌーに乗って楽しむ海さんぽや竹を使ったDIYなど、さまざまなプログラムを用意しました。

熱海で注目を集めやすいのは、やはり観光客向けの分かりやすいコンテンツです。でも、実はもっと深い良質なものを求めている層もいるはずです。そこが可視化されていないのはもったいない。改めて今、ファンからサポーターへ、さらには街のプレイヤーにという流れを意識して形づくりたいと思っているところです。

「オンたま」で実施されたカヌー体験ツアー。穏やかな海は初心者でも安心だ。「熱海をカヌーの聖地に」といった動きも生まれている。

「オンたま」で実施されたカヌー体験ツアー。穏やかな海は初心者でも安心だ。「熱海をカヌーの聖地に」といった動きも生まれている。

machimoriが運営するゲストハウスMARUYA。「日常の熱海」を感じる拠点として関係人口を迎える。

machimoriが運営するゲストハウスMARUYA。「日常の熱海」を感じる拠点として関係人口を迎える。

MARUYAのスタッフがアテンドする街歩きツアー。ガイドブックにはない、レトロな路地裏を案内してくれる。

MARUYAのスタッフがアテンドする街歩きツアー。ガイドブックにはない、レトロな路地裏を案内してくれる。

郊外の活性化にも注力し
豊かな100年後を目指す

──今後力を入れたい取り組みや挑戦したいプロジェクト、目標やビジョンをお聞かせください。

私たちの取り組みの甲斐もあってか、熱海駅周辺や商店街などの中心エリアは、だいぶ活気を取り戻し、街の雰囲気が変わってきたのを実感しています。ただし、熱海の中でも高齢化率の高い郊外エリアについては、多くの課題が積み残されたままです。「伊豆おはな」のような、高齢者福祉の視点を踏まえた街づくりを担うプレイヤーがまだまだ必要です。

もう1つ、地域内の循環を意識した取り組みにも挑戦したい。熱海の場合、どうしても観光で稼ぐビジネスモデルが多くなりがちです。でも、atamistaがミッションに掲げる「100年後も豊かな暮らしができるまちをつくる」ためには、生産・販売から消費まで、熱海という地域内でお金が回っていくシステムが必要です。食やエネルギーについても地域内で賄う仕組みができれば、なおいいでしょう。多くのファン、サポーター、そしてプレイヤーとともに、豊かな100年後を目指したいですね。