社会の風景そのものを変えた スティーブ・ジョブズの構想力

社会構想大学院大学 社会構想研究科では、社会のグランドデザインを描き、実装できる人材を養成している。本連載では12人の社会構想家の実践から、「グランドデザイン」について解説。本稿では、スティーブ・ジョブズの社会構想家としての軌跡を取り上げる。

スマートフォンを手に、地図を見ながら旅をし、音楽を聴き、SNSで人とつながる。そんな生活はあまりに当たり前になった。現代のデジタル社会は、技術者、研究者、経営者、ユーザー、国家など、さまざまな主体がそれぞれの立場から関わり合いながら発展してきた集合的な成果である。

インターネットの歴史をたどると、1960年代にアメリカ国防総省の研究プロジェクトARPANETにおいて、パケット通信というインターネットの根幹技術が開発された1)。イギリスの科学者ドナルド・デービスや、マサチューセッツ工科大学リンカーン研究所のローレンス・ロバーツらによるこの基盤がなければ、ネットワーク社会の扉は開かなかった2)。さらに、ティム・バーナーズ=リーは「Web is for everyone(Webはみんなのもの)」という理念のもと、1990年代にWorld Wide Webを無償で公開し、インターネットを「公共空間」として定義づけた3)

また、ビル・ゲイツやGoogle、Amazon、Facebook等の創業者たちは、テクノロジーを現実のサービスへと転換し、ビジネスを通じてそのインフラを拡張してきた。こうした多様な主体による連関の上に、今日のデジタル社会が築かれている。今回は、そのような実践の中で、製品を通じて社会の風景そのものを変えた一人の人物──スティーブ・ジョブズに焦点を当てる。

挫折を経て共感力・社会観を深化

中村 玲子

中村 玲子

社会構想大学院大学 社会構想研究科 客員教授
専門分野:公共政策/公共経済学
担当科目:地域社会論
1978年、東京大学法学部を卒業し、総理府入府。1984年、ハーバード大学ケネディスクール卒業(MPP、公共政策修士)。1984年、総理府婦人問題担当室 参事官補佐。1985年9月、ハーバード大学国際問題研究所Research Associate。1988年、コロンビア大学ビジネススクールTeaching Assistant。1992年、コロンビア大学博士課程卒業(Ph.D. 経済学)。政策研究大学院大学教授、ハーバード大学国際問題研究所Academic Research Associate、総務省地方財政審議会委員(常勤)等を経て、2024年4月より社会構想大学院大学 社会構想研究科 客員教授。

若き日の彼は、自らの直感と美意識に従い、「こういうものがあったらいい」と思える製品を形にすることに没頭していた4)。Apple I、Apple II、マッキントッシュといった初期の製品は、「美しく、使いたくなる」ことを徹底して追求したものであり、その動機は社会変革という理念というより、自分自身の欲求に根ざした創造的衝動であった。

この時期のジョブズの関心は、あくまで製品づくりにあり、社会全体をどう変えるかという視点は明確には存在していなかった。彼は市場の声よりも自分の感性を信じ、美的判断に基づいてプロダクトを作り出していた。

ジョブズが社会に影響を与える経営者へと成長する契機となったのが、Appleからの追放である。1985年、創業者でありながら経営から外された彼は、自らNeXT社を設立し、さらに1986年にはルーカスフィルムのコンピューター部門を買収してピクサーを設立した5)。当初はコンピューター企業としてスタートしたピクサーは、やがて世界初のフルCG長編アニメーション映画を制作するスタジオへと変貌し、1990年代半ばには世界的な成功を収める。この経験を通じて、ジョブズは共感や物語の力、そして人々の感情に訴える技術の可能性を深く理解するようになった6)

彼は、かつての完璧主義的で一方的なリーダーから、人々の感性に寄り添う共感力を持つ経営者へと変化していった。この転換は、後のApple製品のユーザー体験重視の姿勢にも大きな影響を与えることとなる。また、ピクサーで技術的な革新とストーリーテリングの力を組み合わせることで、人の心を動かす製品やサービスづくりへの視点を強化した7)

社会と人間を見据えた
プロダクトを生み出す

1997年にAppleに復帰したジョブズは、かつての技術偏重のエンジニアではなく、製品と社会との関係性を見据える構想家としての顔を強めていた8)。復帰直後に彼が打ち出した「Think Different」キャンペーンでは、アインシュタイン、ガンジー、ピカソらを象徴として、「世界を変えるのは、常識にとらわれない人々だ」というメッセージを発信した9)。これはAppleのブランド再生にとどまらず、社会への問題提起であり、テクノロジーと人間の創造性との関係を再定義する構想的行為であった。

また、同年のMacworld Expoでは「情熱を持った人間が世界を変える」と語り、Appleを単なる製品企業ではなく、社会をより良く変える“思想の媒体”と再定義した10)。これは彼の社会観の深化と、構想家としての自覚の高まりを示唆するものである。

Apple復帰後のジョブズが生み出したiMac、iPod、iPhoneといった製品群は、単なる機器ではなく、「人と情報の関係性」を再設計する社会的プロダクトであった。iMacは家庭に“使いたくなる”パソコンを持ち込み、iPodは音楽の聴き方を変え、iPhoneは人々のコミュニケーション、移動、仕事、娯楽のスタイルそのものを変容させた。

彼の発想は、「社会に存在するが、まだ言語化されていない不便や渇望」に敏感であり、それに対して直感的に応える力を持っていた11)。スペックや価格ではなく、「自然に使える」「触れて心地よい」「持つことが誇らしい」と感じられる体験が、ジョブズの構想の核にあった。そこには、人間中心のデジタル社会というビジョンが確かに芽生えていた。

ジョブズは未来像を描くだけではなく、それを誰もが手に取れるかたちで実装し、現実の社会に変化をもたらした。バーナーズ=リーがインターネットを公共財として構想し、制度と規格によってその構想を支えたように、ジョブズは製品を通じて社会構想を人々の生活へと届けた。構想と実装が循環しながら社会に作用する──そこにこそ、ジョブズの社会構想家としての真価がある。

誰にでも身近にある社会構想力

ジョブズは、初めから社会を変えようというビジョンを持っていたわけではない。失敗し、学び、社会との対話を重ねる中で、製品づくりの視点が徐々に社会構想へと昇華していった。

壮大なビジョンが最初から必要なわけではない。「これが不便だ」「もっとこうだったらいいのに」という違和感や素朴な疑問こそが、社会構想の出発点となる。成功も失敗も、実践も観察も、問いと対話も、すべてが構想力を育てるプロセスである。そしてその力は、やがて社会に届き、さらには人々の価値観や行動を揺り動かす変革の波となりうる。

社会構想大学院での学びも、学生一人ひとりの出発点は異なるが、「何かを変えたい」「もっとこうなればいいのに」という小さな問いを起点に、実践し、対話し、構想を深め、社会を動かす力へと育てていく──そうした学びの場となる講義を提供したいと考えている。

【脚注】
1)Norberg, Arthur L., and Judy E. O’Neill. “Transforming Computer Technology: Information Processing for the Pentagon”, 1962–1986. Johns Hopkins University Press, 1996.
2)Abbate, Janet. “Inventing the Internet”. MIT Press, 1999.
3)Berners-Lee, Tim. “Weaving the Web”. Harper San Francisco, 1999.
4)Isaacson, Walter. “Steve Jobs”. Simon & Schuster, 2011(邦訳:講談社)第5,6,8,12,13章。
5)同上、第18,19,21章。
6)Schlender, Brent & Tetzeli, Rick. “Becoming Steve Jobs”. Crown Business, 2015.
7)Catmull, Ed & Wallace, Amy. “Creativity, Inc”. Random House, 2014.
8)Isaacson,“ Steve Jobs”, 第24章。
9)Think Different Booklet (1997).pdf, https://d.rsms.me/stuff/Think%20Different%20Booklet%20%281997%29.pdf.
10)Macworld 1997: The return of Steve Jobs, https://www.youtube.com/watch?v=IOs6hnTI4lw.
11)Macworld 2007 keynote speech introducing the iPhone, https://www.youtube.com/watch?v=x7qPAY9JqE4